原発の立地条件は貧しさ

青森県上北郡六ヶ所村

父のクモ膜下出血の報に急いで帰郷したが、その時に車から撮った写真。撮影時刻は8月17日水曜日午前11時頃。平日である。

六ヶ所村立郷土館の看板が出ている。立派な施設において特に公開すべき程の展示品は無い。六ヶ所村は今最も注目されつつある(おそらく復旧が進めば更に注目されるだろう)、原子力関連廃棄物の再処理施設(日本原燃)のある村だ。そういう(危険な)施設を受け入れたなら、国や原子力関連の企業連合がこれだけの施設など簡単に作ってあげますよと、何よりもまず地元民に対してアピールしているのである。

これは私の実家のある、東通村でも事情は全く同じ。マグロで有名な大間町でも変わらない。いかに有名とはいえ、年間数トンの巨大マグロで町の財政が賄えるわけがない。基本的にはこれらはすべて原発無しでは成り立たない、産業らしい産業の無い、貧しい町村ばかりなのである。

国の統計によると、六ヶ所村の平均年収は1520万円(2010年)。ごく最近の簡易統計でも1336.6万円(2011)である。比較対象として云えば、東京都599.7万円(平成20年・厚労省統計)、埼玉県473.5万円(平成20、厚労省)である。六ヶ所村が飛びぬけて豊かな経済基盤を持っていることが分かる。詳しい事情は省くが、その理由はここが実質的に日本で唯一の「核のゴミ捨て場」だからである。

日本全国、各県のイメージ調査がある(調査の年月日は忘れた)。イメージだから必ずしも現在の実態を捉えているわけではないが、逆にいえば過去・現在・未来を総合した、より巨視的な現実を捉えているともいえるかも知れない。その調査では北海道はヨーロッパ的なイメージで、全体として肯定的に想われているようだった(現実はあらゆる意味でかなり厳しいが)。岩手県は宮沢賢治のイメージが強く、貧しいが明るく、知的で前向きな評価。対照的に青森県のイメージは暗く、地の果て、貧しく陰惨な負の印象が強かった。人物で言えば盲目の三味線師高橋竹山、太宰治、寺山修司、連続ピストル射殺事件の永山則夫などを想い浮かべても、明るく健康的なプラスイメージは全然出てこない。

貧乏なくせに助け合うどころか足を引っ張り合い、酒に呑まれては人を呪い、世を呪い、挙句は脳卒中か首つりで死んでいく。それに近いのが青森県の県民性だそうだが、私もまたそんな風土に嫌気がさし、二度と帰るものかという気持で下北を後にした十八歳だったような気がする。上野駅で「お兄さん。働くところならあるよ」と日雇狩りに声をかけられたことを忘れることは出来ない。私の全身からそんな空気が染み出していたのに違いない。

そのうえで六ヶ所村の1520万円の意味を考える。豊かになって良かったな、という心境にはとてもならない。何かが1520万円の代償になっているはずだ。施設用の土地買い上げの際、時ならぬ金を巡って人殺しまで起きた村だ。それまでは牛と人が一緒に暮らしていた、貧しい寒村だったが、老人2人で部屋数50を超えるような御殿(私の趣味ではないが)が幾つも建った。それらの御殿より中学生の私の目にも牛舎の方が美しいと感じたものだが、牛は原燃との選択肢にはなれなかった。

報道を見る限り、福島の実情は青森県と大同小異だ。事故は、たまたま福島県で起きてしまったが、それが青森県であり、新潟県であり、大分県であっても、他のどこで起きても何の不思議もない。原発を必要としたのは都会や工場地帯である。そんなところにはいかに「安全」であっても「怖くて立てられない」。しかし、田舎に立てればなぜか「絶対安全」になるのである。金は確かにモノを言う。あるいは口を閉ざさせる。誰であろうとそこに住めば1520万円にさよならすることなど不可能なのである。

自然豊かなふるさとより、経済的に豊かな街の生活の方を私たちは選択した。「自然が好き」という人々のほとんども、豊かで便利な街の生活を前提にしてのことだ。脱原発依存と政治は唱え始めたが、各国の反響を受けて既に及び腰の感がある。当てにならない政治、当てにならない大人たち。帰るあてのないふるさとを後にした福島の子どもたちの現実は、別の形で全国に広がりつつあるのではないか。この国の、近年までの「経済大国」ぶりの足元は、実はまだ泥でよごれた、裸足のまんまだったのではないか?

occupied japan

occupied japan

車で近くの農業産品を主にしたマーケットへ、講座用の冬瓜か何か、静物のモチーフに使えるものが無いかと出かけてみた。

外にいくつか出店があり、最初に(ガラクタ)アンティーク風の店があった。特にいいものだと思ったわけではないが、何となく目にとまったものがコレ。高さ10cm程の小さな陶製品で、同じようなものが他に2個あり、ほんの数分だが眺めていると店の人が話しかけてきた。話しを聞くとつい流れで買ってしまうのでちょっと警戒したが、絶対買う気はないぞと心に言い聞かせて、話を聞くことにした。

made in occupied japanと裏に刻印があるのは、昭和22年から27年までの5年間、占領下の日本として、つまり日本と言う国が失われていた期間だけ、輸出用の製品に表示することが義務付けられていたことを示している(ウィキペディア)。昭和27年(1952)4月28日にサンフランシスコ平和条約が日本と占領国との間で発効するが、この時から日本は主権を回復し、made in Japanと表示できることになったのだそうだ。これはすなわち日本がたった一度だけ日本でなくなった時期の輸出品で、それが今度は再びアンティークとして日本に里帰りしたものなのだ。出来自体は大したモノはないのだが、5年間という限定があるので、それなりのコレクターがアメリカにはいるらしい。

そう聞いてしまったら、絵のイメージがふっと湧いてしまった。これはマズイ!と値段を聞くと安くしますと言う。ますますマズイ!結局3個とも買ってしまった。でももともとの1個分の値段で3個買ったのだから得した気になった。妻は「原価はいくらだろうね。さっと下げたのだから、きっともう一声下がったと思うよ」と残念そうだったが、私はもう返事をする気にならなかった。 2011/9/11

ジャイロスコープ

ジャイロスコープ(船の科学館)

船の美しさ、続編。写真は船の航行には必須のジャイロスコープ、羅針盤と言えば分かりすい(青い色はそれを覗きこんでいる私のシャツの色)だろうか。これは実際に遠洋航海で使われていた船を解体した際、保存されたもの。全くの実用品だが実に美しいではないか?

今では死語になりかかっているが、私の学生の頃は実用の美とか機能美という語がまだあった。美そのものを目的とした美術品と違い、純粋に機能性、実用性を目指した器具が、結果的に不要なものをそぎ落とした美しさを獲得するという意味の語である。

誰が言い出したのかは忘れてしまったが、それらの語には装飾あるいは余裕(過分?)に対する嫌悪感がこっそり隠されていると私は感じていた。肉や脂肪の持つ肉感性、官能性に対して骨の白々とした、質素な美しさを好む志向だと言う方が分かりやすいかも知れない。私などはそうした美学に共感しつつも、「不要な物」という、その独善的な物言いに多少の反発も同時に感じたものだった。

このジャイロスコープを見てそんなことを思い出した。ジャイロスコープは美しくなくても使い易ければそれでいい。このジャイロスコープもその方針で作られたものに違いない。その意味では「骨」的志向と言えるだろう。ダイヤ形の印しも見やすさを考慮したものだ。けれどこの大きさはこれよりほんの少しサイズが大きかったり、色がほんの少し薄かったり黒味がかったりしても実用性に問題は無い。それなのにこれをジャストとしたことには設計者、制作者の美学が入り込まざるを得ない。これは「骨的な志向」ではなく、「肉」的な志向ではないか。そぎ落としていくだけでは本当の美は生まれ得ないのではないか。そんな風に当時も感じていたのだった。

ともかく船の内部、器具、用品にはなぜか美しいものが多い。自動車でも、飛行機でも事情は変わらないようなものだが、美しさという点では格段に落ちる気がする(多くは私の偏見だろうが)。その違いの一つは「重さ」から来るのではないかと私は睨んでいる。

船の備品は飛行機や車に較べ総じて重く、大きく、武骨である。揺れる船上での扱いがそれを要求するのだろうが、それが人間の感覚にどっしりした安心感や親しみを与えるのではないかと感じている。設計、制作に携わる人々にもそれは共有され、だから船という一つの美しい体系が出来上がっていくのではないかと思っている。2011/9/10