雪について思い出すこと

 

冬の下北(Simokita in winter)2012

下北の、いや下北に限らず雪の風景は美しい。モノクロームの世界とよく謂われるので、ついそんな風に思いがちだが、自分の体験をちょっと振り返れば、決してそうではないことを誰でも思い出すだろう。

先日、この雪の風景に触れ、なんだか忘れ物を取りに帰ったような気がすると書いた。たしかにそうなのだ。中学生自分にはほとんど勉強などせず、ウサギやヤマドリなどの罠かけに夢中になったり、その途中、スキーで危うく2度も遭難しかけたりしたことを、今回の帰省中毎晩のように弟や母と思い出しては話したものだった。それらは自分の体のどこかに沁み込んでいて、こんな雪を見ると自然に気持ちが昂ぶってくるのをくるのを感じていた。父のことがなければ、2、3日はウサギ罠でもかけに出かけたかもしれない。もっとも、それがなければ帰りさえしなかったに違いないが。

本格的に絵を描くようになったはじめの頃、いろんな色を使いこなしたあと、やはり最後はモノクロームだなあと何度も思ったのは、こんな風景を見てきたからだろう。いつの間にか生活に追われ、そういうことさえ忘れてしまっていた。私のことを「幻想作家」だと言った人がいる。それは恐らく当たっている。ごく小さな子供のころからなぜか自分でも そんな風に感じていたからだ。雪は幻想を育む。雪国は幸いである。

 

 

下北から帰ってきた。

2011暮れ・下北

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。たくさんの年賀状を頂きました。ありがとうございます。でも、私は今年は1通も出せずじまい。申し訳ありませんでした。

12月に入ってすぐパソコンが壊れて修理に出し、年内には修理出来てきたのですが、既に私は24日には下北へ父の様子を見に帰っており、今年の年賀状はやめてしまいました。25日から1月4日まで11日間毎日父の病院へ介護?の手伝いに、山道を越え車で片道1時間から1時間半かけての病院通いをしました。

8月の手術、11月のリハビリ病院への転院と今回の転院と3つめの病院ですが、そのたびに一つずつ出来なくなってきています。手術直後はちゃんと話もでき、自分の名前も生年月日なども正確に答えられたのが、次の病院では話が出来なくなり、家族を認識できなくなりました。今度の病院ではもう食べさせて貰ってさえ食事もままならず、痩せていく一方です。身体も硬直してカチカチ。リハビリ専門病院なのに???と思いましたが、とにかく食べなければそれで終わり、と自分の仕事を昼食だけでもしっかり食べさせることに絞りました。家族のできることはわずかです。でも家族でなければできないこともあると感じた11日間でした。

慣れない雪道も初めは恐々でしたが、慣れてくるに従い周囲を見る余裕もでき、山道のテラテラと光るアイスバーンのドライブも楽しめるようになりました。何より、汚れていない雪の美しさ、風で粉雪が舞い、道か雪原かの見分けがつかないような雪の表情の美しさを毎日見られたことは、とても私を元気づけてくれたのです。寒気に澄み切った空気の清々しさ。何だか忘れ物を取りに帰ったような気持ちになりました。

下北では咳をしている人を一人も見かけませんでしたから、風邪のことなどすっかり忘れていましたが、昨日(5日)夕、新幹線で大宮駅に着いたとたんの大勢の咳の人々。ああ、ここには風邪があるんだった。そんな気持ちと、美しい雪景色を心の中に大事にしまいこみながら、今日からまたこの中で自分は生きていくんだと感じながら帰宅しました。

いよいよ個展だ。

ホニュウルイの風景 F6 2011

いよいよ個展。全然準備らしい準備も出来ておらず、これからジョイフルへ行ってテープを買い、額縁代わりに周囲をぐるりと回して出品しようという横着な神経に、我ながら愕然としているところ。ここ数日は筆さえ握る時間が無い(このブログは?)。

最大作はほぼ300号の「円盤投げの男」(あえて未完のまま出品)。なぜ円盤投げなのかは会場で考えて下さると有り難いですが。最小は4号の数点。時間からいえば4号、6号がもっとも時間がかかり、大きくなるほど短時間で描かれている。それは今回だけでなく、いつものことだ。たぶん私自身の内面的な性向がそういう結果につながっているのだろうと思っている。

「ホニュウルイの風景」は出品作の1点。今の段階での感想だが、本当は今回の真のタイトルはこれだったかも知れないと感じている。作者としての私の思いは別にして、見て下さる方のすべてに、ポジティブなもの、ネガティブなもの、それぞれいろんな感想があると思う。ぜひ、それを聞かせて頂きたいと願っている。 2011/12/06