圏央道橋脚

美しい風景
美しい風景

圏央道橋脚。開通して数ヶ月、まだ新しい。その下に捨てられた半透明のビニール傘。コンクリート型枠のシミ?との色彩が何とも美しい。

これをそのまま絵に描けば?と思う人もいるし、現にそんな作品もある。けれどそれは少し違うと思う。これは発見する事に意味があるので、その後の再現にどんな意味があるのか私にはわからない。発見する事によって、ある種の感覚が開かれていくことがいいのではないだろうか。

ただいまの制作-10 / New job-10

中断中 unfinished
中断中           unfinished

7月半ばから中断中。下北から帰り、道具類を元の位置に戻すなど整理しているうちに一日が過ぎた。

2016/7/31〜8/31のちょうど1カ月を下北で制作した。出発前の制作を再び見ると、おーい、と自分が自分を呼んでいるように感じる。「自分」なんて一種の錯覚のようなものだと思う。だから場所や時間が異なれば、もっと自分の知らない顔になっていてもいいはずなのに、ちっとも変わらない顔で呼んでいる。

嫌なやつ。もっと変われ!顔も見たくないが、自分の顔を取り換えることもできず。

 

窓辺のサボテンたち

大きくなったサボテン
大きくなったサボテン

1カ月ぶりに見る、アトリエのサボテンたち。水と空気と太陽だけでこんなに成長するなんて、しくみは理解出来ても、感覚的には不思議としか言いようがない。成長する植物にも感心するが、太陽のエネルギーって凄いんだなと改めて感じる。

もちろん、太陽があるからそれに植物も私たち動物もそれに適応するしくみを作って来たわけで、現太陽ではなく、別のシステムがあれば、それに適応するシステムができるはずだから、当然といえば当然だが、「生命」というものを発生させた太陽はやはり「超」のつく特別な存在だろう。

埼玉の暑さも、そう考えれば特別な恩恵だ。日照の無い、冷涼な場所から埼玉を見ると、土地も人も豊かな所だと改めて思う。