絵画教室の人々−1

ウィリアム・ブレイク 憐れみ 水彩
ウィリアム・ブレイク 憐れみ 水彩

※これは架空のお話。実在の人物とは何の関係もありません。誰かに似ていても怒らないで。

私は絵が好きです。子どもの頃は「上手ね」とかおだてられて、褒められたさに一生懸命描いたのが懐かしい。学校の先生が校外展に出してくれて賞状なんかもたくさん貰ったのに、学年が上になると、なんだか絵を描いているだけで周囲から白い目を感じるようになった。本とノートを開いているだけで親が喜ぶのが分かるようになって、いつの間にか絵を描かなくなっちゃった。…そして絵のことを忘れてしまっていた。

ン十年経って、ふと思ったんだ。「お前はわがままな子だ」とか親類にも言われ、そんな気もして肩を細くしてたけど、本当はわがままどころか、やりたいことを我慢して生きてきたのかも知れないなあって。私っていつも気がつくのが人より遅いんです。

ゲージュツの道は険しく遠い(らしい)。その長〜い道程から見れば先生も私たちも大した違いはないだろうが、隣の席にちょっと先生が筆を入れると、急になんだかよく見えてしまう。もう先生の絵に洗脳されちゃっているのかな。ベテランはその辺がわかってらっしゃるのか、「先生、これちょっと良いでしょう?」と挑戦的に見せる。本当に満足しているのか、「手出し無用」とバリアを張っているのかは、新人では窺い知れぬ奥深さ。

私などこうはいかぬ。先生の顔を見るなりなぜか謝ってしまう。「済みません。全然思うように描けなくって」。思う通りに描ければ教室になど通わないと、頭の中とまるっきり正反対のことを口が勝手に喋ってしまう。自分の口ながらコントロールできず。口の代わりに手が勝手に絵を描いてくれれば嬉しいのだが、どうも自分の手は筆(と包丁と掃除機アンド洗濯機)に触るのは、遺伝的に苦手らしいのだ。それは私のせいではない。

 

 

それは忘れてもいい

 

アンドリュー・ワイエス 水彩
アンドリュー・ワイエス 水彩

ここ半年ばかり、いろいろと「お勉強」中です。

まず、旧人類の象徴燦然たる「パソコンのお勉強」(新人類はパソコンが育ての親だ)。3ヶ月前、ウィンドウズからマックに換えた。「使い勝手がいいだろう」とか言われても、そもそもパソコンの使い勝手という感覚が既に未知の世界。同時期にマックに合わせてiphoneに携帯も換えた。マックに合わせた方が使い勝手が良いと言うススメに従ったのだが、単純に勉強科目数が増えただけのような気もしないではない。

他にも似たようなお勉強の必要がどんどん出てくる。その度に強く感じるのは、情けないほど基本的なことがわかっていないという事実。ある知識があっても、それがひとつながりの形を作るような覚え方をしていないか、あるいは興味が薄くて断片のままに忘れ去られていたんだな、ということ。

つまり私の頭の中には、何かの破片のような目先の断片知識だけがあちこちに散らばっているだけで、それらを組み合わせた全体がどんなものなのかが見えてこない、深い靄の風景が広がっている。ぞっとする、おそろしく寂しい風景だ。

よくもまぁ、これで今まで生きてこられたものだと、我が運の良さに感謝の日々。死ぬまでこの運が続きますように。お酒なんか飲んでる場合じゃないと思いつつ,ついグビリとやることだけは忘れない。

青いカモメ展終了 / ”The A-o-i Kamome’s Exhibition” has finished

2th Aoi- kamome exhibition 2015
2th Aoi-
kamome exhibition 2015

2/12~2/15の青いカモメ展、終了。”A-o-i kamomes” means  the blue sea-gulls. That is the name of amateur painters club.

出品者約60人、110点。構図やアイデアに苦しみながらも、それぞれの目標レベルに、ある程度近づけたのではないでしょうか。60 people, 110 works. They all might be working hard to create original ideas or atractive composition etc. As a result, it looks like that most of them were getting closer to near their each gole.