「安静」の意味

読みかけの本を読み終えた
読みかけの本を読み終えた

突然「絶対安静」、ベッドから出てはいけないと言われ、いつ転倒しても不思議ではない状態と理由も告げられたのに、その指示の意味が手術後までも、解っていなかった。

ベッドでモニターの数字だけを見ていた。30〜35から上へなかなか上がらない。逆に時々27,28に下がる。パッと夢が覚めたら65とか70とかになるという、祈るような気持以外、頭が働かない。示される数字の現実感が薄い。

手術の説明があり、器具の説明がある。それぞれ理解はできるが、心は上の空のまま手術室へ。

術後2日ほど経ち(26日)、ほぼ全ての予定のキャンセル、移動などの連絡を終え、やっと落ち着いてきた。

なぜ手術が必要になるまで症状に気づかなかったのか。これからどうするのか。

「安静」とは文字通り静かに休むだけだと思っていた。もちろんその通りだが、少なくとも「何もしない」だけの意味ではない。「積極的に」何もしない、のである。「何もしない」ことが「無意味」とは正反対の意味だということが、遅ればせながらやっと解ってきた。

仕事や会合の連絡なども確かに大事だが、死なないまでも、安静を犯して入院を長期化させてしまえば、連絡など何の意味もなくなってしまう。少し大げさに言えば、病気でさえここまでの私の人生の結果である。そして、手術そのものも多くの人の心配や励ましや努力の結果だ。それをきちんと活かすために、自分が今できる最大のアクションが「安静」なのだ。 2016/11/30

 

 

心電図モニター

心電図モニター 脈拍70
心電図モニター        脈拍70

変な話だが、心電図を見るのは案外楽しい。単純な繰り返しだけのようだが、何故か飽きない。しかも自分のだから、尚更親近感が湧くのも当然だ。そのうえ、この番号。これはある組織での私の会員番号ととても近い。同級生のような近さだ。

この6日間、私から一度も離れることなく、心臓のデータを見せてくれている。顔立ちもスタイルも、どちらかといえば不細工だが、機器から出る熱も私の身体に伝わり、何だか生き物をずっと抱いているような、お気に入りのおもちゃのような感じがして、可愛い。貰って帰りたいが、そうもいかない。家に帰ればいずれ放ったらかしにするに決まっている。可愛い子はここに残すのが良い。2016/11/28

 

ナース・コール

ナースコール
ナースコール

昼間はあまり気づかないが、夜になるとナースコールがよく聞こえてくる。私も必要に迫られ、何度かコールした。夜は看護師の人数も少ないので対応にも時間がかかり、それだけコール音が長引くせいでもあるだろう。

処置をしながら「ナースコールが凄い!」と思わず呟く看護師さん。敏感になっているから、処置に時間がかかる時など、時には針のむしろに座らされている気分になることもあると想像する。

夜勤だから当然徹夜だ(ろう)。自分の仕事や趣味に熱中しての徹夜と違い、いつ、どんな状況になるか分からない緊張感を持続するのは大変だと思うが、翌朝もケラケラ笑っていたりする。私などにはとても無理だが、仲間がいるから頑張れるという側面もあるに違いない。一人での夜勤ならきっとノイローゼになる。

画家や小説家にもそれぞれ仲間はいるが、同時に同じ場所で仕事をするという意味での仲間はいない。常に一人。もしナースコールしたくなっても、担当はいつも自分自身しかいない毎日。

ナースコールが、当日のチームに緊張を強いる反面、全員が分担し合っているという意識を高める、連帯コールでもあるように思う。