退院 / Discharge from hospital

good mornning
good mornning

退院の朝。朝日が向かい側の団地の白い壁から反射している。

何から何まで全て初体験の入院だったが、世の中は毎日こんなことを、川の水が流れるように、一瞬も止まることなく繰り返している。だが本当は、スーパーで野菜を買うのも、交通事故で間一髪助かるのも、全く同じ程度に稀有で、一回限りのことなのだ。人は誰も二度と同じことを繰り返すことはできない。時間は流れている。昨日の野菜は今日の野菜ではない。昨日の私は今日の私ではないのだ。

入院中、ピカソとマティスを集中して見た。彼らが新しい世界を切り開く作品を、次々と発表し始めたのはちょうど100年前。何となく解っていたつもりでも、見る度に新鮮な発見があるのは、さすが巨匠たちである。何度も見た筈の絵に、何度も初めて見る歓びを感じさせてくれる。

ピカソもマティスも、新鮮な野菜のようだ。毎日毎日新しく生まれ変わっている。流れる川のような力が作品から放射されている。幼い時は血となり肉となり、青年の時代には走るエネルギーとなり、今はまた愉しみとともに害悪を洗い流す薬ともなっている。新鮮な野菜を摂ることは、愉しみだ。

私も新鮮な野菜になりたい。      2016/12/3

病院の食事

入院食
入院食

ある日の朝食。さっぱり系だが、ちょっと色があるだけでも楽しい。減塩食でも味はしっかりついている。ご飯は少しボサボサだが、病院食だからある程度止むを得ない。

ご飯180グラムはかなり多い。カロリーの殆どを炭水化物で計算しているようだ。ご飯だけで比べると、この1回で私の普段のご飯量に匹敵。これを3回繰り返すと、毎日ご飯だけ食べているような気がしてくる。

私は毎朝納豆とヨーグルトは必ず摂ることに決めている。納豆はビタミンKを効率よく摂るため。ご飯は納豆の薬味のような扱いで45g。ヨーグルトはウィークポイントである胃腸を整えるため。これはたっぷり300g。あとは無ければなくてよい。昼、夜は適当だが、一応考えて食べる。基本は糖尿病食。私は糖尿病とは無縁だが、計算のベースにしている。

入院患者は退屈だから、食事を心待ちにしている。そのせいか、皆食べるのが異様に早い。私は普段ゆっくり食べているので、やたら急かされる気がする。日本人は日本食を自慢するが、こういう、掻き込むような食べ方はどうなのか、と考えた。ミラノでメンザ(鉄道職員の職員食堂)へ行った時のことを思い出した。

そこでは男女ともほぼ全員が小瓶のワイン2〜3本飲みながら、時間をかけ、大声で喋りまくり、笑いあいながらゆっくり食事を楽しんでいた。ワインなんか飲んで大丈夫か、など誰も考えてさえいないような陽気さだった。

病院だから、たとえばイタリア人のようにワイワイやりながらということはできないにしても、普段から日本人と彼らとの食事の楽しみ方は全く異なると感じる。たぶん哲学の違いなのだろう。

万事、人生を愉しむというのが彼らの哲学だとすれば、たとえ病院であろうと、もっと目で、舌で、手で楽しめない食事こそ、病気を作る元凶だと考えているかも知れない。旅先で病院の世話にはなりたくないものだが、一度イタリアの病院で(ごく軽い病気程度にしてもらいたい)味も、雰囲気も味わってみたい気もする。

ペースメーカー

ベッドの上でもいろいろ考える
ベッドの上でもいろいろ考える

私には姉がいた。私が生まれて半年後に亡くなったので、もちろん顔は知らないが、姉は私の顔を見たはずだ。2歳半だった。当時の田舎だから写真もない。母は娘の柔らかい髪の毛をひとつまみ、ずっと取ってあった(おそらく今も)。小学校低学年の頃、何かの時に母が見せてくれたのを覚えていて、それから何度か自分でも見た。

ペースメーカーは、正確な電気信号が届かなくなった心臓に、その人の身体活動に合わせた信号を正しく伝えるもの。それが今、自分の胸の中で私自身の一部として動き始めている。

ペースメーカー自体が動くわけではない。ただの冷たい(冷たくはない)機械だ。けれど私の肉の一部を切り開いてその中に埋め込まれた瞬間から、私と生死を共にする、私の特別に大切な一部分となった。この先、大事な大事な手、脚、眼、耳などでさえ、私から失われることがないとは言えないが、これだけは私が生きている限り、失われることはない。

夜、目覚めて何となく肌着の上から撫でると、まだちょっと痛みを伴って膨らんでいる。これまでのいろんな人や事柄の全てが関わって、文字どおり私の胸に飛び込んできた機械だ。大事にしなくっちゃ。

だから、「ペースメーカー」という機械の名前でなく、自分で名前をつけることにする。仮に「葉子」と呼んでおこう。それが姉の名だ。2016/11/29