天気のひみつ

クリスマス・ローズ (何度も…)

今日は良い天気。嫌なことも、良いことに変えられそうな気がするから不思議。「穀雨(こくう)」という語がある。物(一般的には植物)を育てる雨、という意味だ。

「あいにくの雨」とは言うが、「あいにくの晴れ」とはあまり言わない。良い天気、も大体晴れを指す。晴れにはマイナスイメージをプラスに変える、何かがあるからだろう。

意地の悪い人は病気にかかりやすいそうだ。皮肉を明るいジョークに変えるようにすると、長生きするというデータをカナダの大学で発表した。なるほど、と捉える人の方が健康になりそうなデータである。

今さら…

    クリスマス・ローズ

南スーダン派遣の自衛隊日報を巡って。一言で言えば、現地隊員によるナマの貴重な記録だから廃棄など考えられない。が、論議を呼びそうだから廃棄ということで隠してしまった。いったん「廃棄」したと言った以上、「今さらありました」とは出せなかった、という。

何が大事で、何が小さいことなのかは人それぞれの立場や考え方によっても違う。けれど「記録」の価値が無になることはない、という常識が共有されていないことになる。

文化の本質は、固有の知識、経験、思想を公開、常識化することにある。少なくとも人間の歴史はそういう方向に進んできた。自分に都合の悪い記録を廃棄したいのは、都合のいい記録だけ取っておきたい気持と同じもので、誰の心にもある。が、その痛みを押して文化は進んできた。

錯覚の効用

クリスマス・ローズ

「錯覚」というのは、ともすればマイナスイメージのある語だが、脳科学的にはずっと積極的な意味があるようだ。

「自信」もその一つ。単なる錯覚の「一症状?」。逆に言えば「自信喪失」も同じことの表と裏。いや、表とか裏とかの区別自体も錯覚かも知れない。

無限の可能性を信じつつ、コントロールを超えたアクション(絵ならば手の動き?)が重なる時、そこに「自由」が生まれる、ようです。どちらも簡単ではなさそうですが、両方とも錯覚だと思えば案外できるのかも。