ズッキーニ

ズッキーニ

ここ数年、珍しくもない野菜になったが買ったことがない。食べるつもりもなく、色に惹かれて買った。

このズングリした形にも、以前からどこか惹かれるものがあって、時おり触ってみたりしていたがやや白けたキュウリ色で、買う気にまではならなかった。

かたちと色の両方が揃ったところで、そのずっしりした量感もあらためて味わえた。食べない。眼だけで味わう方がどうも美味しそうだから。

 

梅雨晴れ間

浮かぶ男(エスキース)

俳句に「梅雨晴れ間」という季語がある。季語というのは便利な語で、これだけで、時には短編一章分の背景を描いたのと同じ効果を持たせることができる。俳句という世界の中では、特別に凝縮された一語だということになる。

表現とはこういうものが理想だろうと思う。絵ならば、一瞬(じっくり、でも良いが)で、小説一巻分の内容を眼から受け取ることができるもの。

確かにそんな絵もある。

 

クジラのようなものを喰う-終了

「凛々しい」と口走った人がいた

外のまぶしい明るさのせいで、母屋の中は暗く感じられるが、周りはぐるっとガラス窓で、外の景色はよく見える。

中には誰もいない。一つの窓が開いていて、レースのカーテンが揺れている。上にいくつかの額がかかっていて、そのうちの一枚があの子どもたちが写っている写真のようだ。しかも、そこには父親、母親らしき人たちも。

なるほど…。この写真の中に、あの二人の女性を探せばいいのか。でも、それ以外の人はどこに?

近くの小さなテーブルの上に、白い、やや大きめのお皿があり、その上に綺麗な模様のハンカチがかけてあるのに気づいた。

ハンカチをこっそり持ち上げると、黒い蒸しパンがちらり。「クジラの…」かと思ったが、本当の蒸しパンだ。と思っているうちに、非常識にも、誰の許可もなしに既に半分も食べ尽くしている。

「それはマズイでしょ」と、内心「夢の演出家」に抗議する私の口の周りに、まるで私が悪行した証拠のように、やたらにベトベトとそのパンがくっつくのは何故なのだ!「おい、演出家!それって、変だろ?」

あとで考えると(夢の中の「あとで」っていつなんだ?)、それはどうやら「使命完遂」のご褒美であったらしいのだが、「使命」そのものの意味は特に無いようだった。