暇で頭がボケそう

今朝もよく晴れ、しかもほぼ無風。気温は3〜4°くらいまで上がりそう。歩くと汗をかいてしまう。

病院にいると本当に暇だ。都会ならあちこちと用事を済ましながらの見舞いも可能だが、雑木林の中にポツンと離れ、ぐるりと見渡しても商店の一軒もないようなところでは、用事などしようもない。病院から少し離れたT字路まで雪道を散歩。往復3km。他にやることがない。

絵でも描きたいところだが、さすがに病室ではそれは無理。せいぜいパソコンを使って暇つぶし作業をするだけ。パソコンで仕事できる人が羨ましい。こんな日々を今回は15日間過ごす。毎日、介護に費やされるこの労力と時間を考えると、姥捨山政策を進めようとする勢力が、増えることはあっても減ることはないだろうな、と思う。

病院は人間の学校 / Human school

新雪が少し降ったらしい

今日も病院へ。今朝方の新雪で、風景がまた化粧し直した。車の人は顔をしかめるだろうが、ただ見るだけの私には大きなプレゼントだ。雪が降るたびにそれを貰える、有難い暇人だ。

病院に来ると、ふだん意識しない呼吸や、食物を口に入れる、噛む、飲み込む、消化、吸収、排泄という毎日誰もがしていることの有難さを再認識させられる。そして死も。病院は「人間の学校」でもある。

「有難い」ということは、感謝すべきだという意味ではない。文字通り、「有る」ことが難しい(難い)という意味だ。私たちはつい医学の進歩とか社会制度とかを過信しがちで、死についてもそのぶん何となく余裕ができたような気持ちになりやすい。

その過信を、病院は時には一層過信させ、時には簡単に打ち砕く。人間が生き物であり、動物であり、微妙なバランスを取りながらロープの上を滑る、やじろべえであることを病院は教えてくれる。

波のように / As waves

太平洋 2018/1/1

元日の海は6年ぶり、かな。夕日がずっと沖の雲に当たって輝いている。そこからうねりが押し寄せ、盛り上がり、波になってぶつかってくる。永久に続くエネルギー、時間が見えるように感じられることが、見飽きない理由かも知れない。

ジェット音のような凄まじい潮騒。どんな凪の日でも途切れることはない。波に煽られ、顔に吹きつける海風。こんな凄いことにもすぐ慣れるなんて、どういうことなんだろう。

途切れないエネルギーのそばで、一つの命が消えようとする。ちっぽけなものだ。ちっぽけではあるが、波と同じように全く同じものは一つもない、たぶん。違うということに価値があるならば、波は限りない価値を生み出し続けていることになるが、そうだろうか。人の人生も大同小異。そこにどんな意味づけが可能なのだろうか。