発表するということ 2

まもなく展覧会終了(風土に生きる・展  銀座)

作品を発表することには、出品者それぞれにそれぞれの意味がある。それも、年齢などの身体状況など様々の個人事情、生活や周辺の人間的な環境などによっても、その意味はさらに変化する。

このグループ展も5回目の区切りを終わった。今後のことは話し合うが、いずれにせよ現在のまま続くことはない。けれど、このグループ展での発表を止めても、絵を描くことを止める人は誰もいない。

発表の場と、その人の発表する意味とは次元の違う問題だ。団体展と違い、話し合いでも、飲み会でも、そのことに触れる人はいない。皆一線を引いている。それがお互いを尊重するということ。5年間暗黙にそれができていた。よいグループ展だったと思う理由である。

発表するということ

斎藤 典久 個展より

川越・ギャラリー・ユニコンで斎藤典久さんの個展を見た。とても良い個展だった。作品が優れているかどうかは私には判らないが、少なくとも作者と作品が一致するというか、その人らしさが作品にしっかり流れていて、そういうことが私にとっての価値観であるという意味で、良い個展だと思った。

それに引き換え、私の東京・銀座で発表した作品は単なる思いつきの底の浅い、いい加減な、薄っぺらなものに見える。そして、確かに思いつきで、底が浅く、いい加減で、薄っぺらなのが私自身なのだ。そういう意味では私も言行一致だが、悪い方の言行一致ではどうしようもない。

私は最近、発表することの意味を失いかけている。おそらくこれからも、たとえ手が動かなくなっても(それがパソコンになろうと)、それが他人にどう思われようと、私は絵は描き続ける筈だ。絵を描く以上の楽しみなど、この世にあろうとは思われないから。けれど、何のために発表するのか、という問いに対する答えはそれほど明確でなくなってきた。他人に評価されたいなどとはもう考えてもいない。それより、誰に見せるつもりでもなく、無心に描いていた原点に戻りたい気持が強くなってきた。

試し描きで一生終わるわけにはいかないぞ

水彩効果4

水彩ブラシを一本ずつ試している。水彩ブラシが100本、チョークなどのドライ系が180本くらいあるらしい。その上要求すればあと200本くらいは色々なのが使えるらしい。上から順に、だいたい1本ずつ別々のブラシによる効果だ。すごい、すごい。

でも、こんな調子で一日一本ずつやってると、試すだけで一年以上かかることに、三日目にして気がついた。「これとこれはセット」とか「この3本だけでだいたい賄おう」とかしないと、順列組み合わせの数は天文学的になってしまい、何度生まれ変わっても試し描きさえ終わらない。早く気がついて良かったー。

私の風邪が家族に移ってしまい、全員が調子悪い。が、私がウイルスを作ったわけではない。私にうつした奴がいて、そいつに移した奴がいる。急に話が飛ぶが、そういう訳で、とりあえずお風呂に入れないらしいから、ここ2日ほどお風呂は私の独占場になっている。いつもは一番最後、「お風呂洗っておいてね」だが、今は最初(で最後だから、結局はお風呂を洗うのだが)。「あれっ、プールの匂いだ」なんて塩素の匂いを嗅いだりしている。