ウニ食べました

ウニを剥く

晨春会展終了。バタバタと会場を片付け、夏祭りの交通規制の中を、なんとか我がアトリエに作品と共に帰宅。

下北半島・白糠産の活けウニが届いていた。白糠産は下北の中でも特に美味として地元では知られているが、漁協や地元民にはそれをブランド化する能力も、何とかしようという気持もなさそうだ。味は利尻、礼文のものにとてもよく似ていて、決して引けをとらないのだが(ウニの味は、地域ごとに、磯ごとにかなり違うものです)。

今年のウニはぷっくりとよく肥えていた。農家出身の妻は「ウニはパス」。息子も食べつけないので、好みではない。喜びを分かち合えないのは少し寂しいが、日本酒、ビール、ワインで、超山盛りのウニ丼にして食べた。贅沢の極み。こういうの、本当は一人でなく、何人かでワイワイやりながら食べたい。前もって予約を受けるだけの能力が漁協に欲しいものだ。

LIVE

習作 M8

目が覚めたらテレビがついていて、サッカーワールドカップ決勝を放送している。シーツを敷くポーズのまま布団に突っ伏して、どうやら眠ってしまったらしい。LIVEかどうかさえおぼろなうちに、(フランス対クロアチア戦)フランス3点目。直後に追加点。さらに目を白黒させているうちにクロアチアが得点して、4-2。

不思議な感覚。目が覚めたらいきなり決勝のクライマックス。見たいとは思っていたが、放送時刻が遅く、あえて見ようとはしていなかったのに、なんとラッキーな。私、本当に少し元気になってきたんだな、と思う。

絵画の原点

アメリカ芙蓉

絵画の原点。大げさなタイトルのようにも見えるが、私には次第にハッキリしてきた、と思う。

絵画の「原点」はある意味、時代とともに動いてきた。だから、ここでいう原点とは、「現代において」である。とはいえ、人間の歴史が途切れることなく続いてきたように、歴史的な「原点」も現代の原点に繋がっていることは当然だ。

「自由に描くこと」。それが原点であり、それが最終的な「理想」である。それを忘れないこと。多くの作家がいて、それぞれ自由に好きなものを好きなように描いている。全ての画家が理想を達成、謳歌しているように見える。が、それは本人を含めて、殆どの場合、「錯覚」である。「自由に描く」ことと、好きなように描くのとは次元が違うことに気づいていないからだ。(この項続きます)