ボランティア

緑の手の中の男    ( 習作)

西日本豪雨災害での、ボランティアのニュースをラジオで毎日聞く。ボランティアの方も熱中症になったり、豪雨の去った後の猛暑とは神も酷い。被災地の方々はそれに加えて喪失感、体力、気力の限界に近い、四重苦、 五重苦に喘いでいるに違いない。未だに行方不明のままの人もいる。

けれど、地元や連携する自治体、ボランティアなどの手で、インフラや市民生活への秩序が急速に整いつつあると聞くのは嬉しい。

「情けは人の為ならず」いつかは自分たちも、こうしたボランティアの世話になることもある得る。だから、ではない、自然な心の為せる行動なのだろう。けれど、誰でもボランティアに行けるわけでもない。人は繋がっている。自分自身の健康を守ることも、より必要とする人にボランティアの助けを振り向ける力になっている。若い人は、いま一生懸命勉強することも、直接のボランティアに劣らない、大きな意味を持つ日が必ず来る。

夢と絵のあいだ

習作 M8

夢うつつに絵のことを考えている。

「色彩は迷路だ」という声がする。同時に数枚の絵がスルスルと目の前に現れて実例を示す。なるほどそうか。今度は色のない、素描のような絵だけが現れ、「でも、色があると楽しい」という。それもそうだ。

いつのまにか夢は終わり、現実(まだ横になったままだが)の作品のことに意識は移っている。夢の中の絵は記憶の中にはっきりと残っている。

ウニの歯

ウニの歯をしげしげと見たことのある人は、案外少ないかも知れない。漁村に生まれた私は子どもの頃から、ウニの歯はけっこう鋭く、デカイなあ、と思ってはいたがは食べることに夢中で、よく観察はしていなかった。

ウニの歯は5枚(種類によって異なるかもしれない)、先端が中心の1点に集まるように、正五角形に配置されている。一つ一つは局面のある石灰質の鞘と、方解石のナノ粒子でできた、超硬質の鋭い刀の部分との2つでできている。この硬質の歯でコンブなどの海藻や魚などの死骸を切り取って食べるだけでなく、岩を削り、自分自身の隠れ家をも作る。

身体の割には大きな歯で、5本の歯だけでも身体全体の体積の10%以上。自動的に研ぐ構造になっていて、新しい歯がスライド式にでてくるようになっている。生半可な現代の工具では追いつかない優れもので、切削工具の研究対象になっているという。

棘は人や、それを好物とする魚以外のものにとっては防禦の武器だが、もしこの口(歯)を攻撃に使えるように進化していたら、私たちの方が食べられる側になっていたに違いない。