Glass apple

Glass apple (2021に加筆)

2020年にいったん完成させた作品に加筆したもの。加筆箇所はほぼアウトラインのみ。前はウルトラマリンの細い線だった。何となく納得できないまま、ほぼ1年放ったらかしになっていたが、昨日ふっと「アウトラインの細さが、存在感の無さにつながっているのではないか」と思いついた。

同じウルトラマリンで太くしてみたが、効果が弱いと感じたので思い切って黒を混ぜてみた。線の端が必要なラインからはみ出すのは、一度筆を止めた直後に無造作に再び筆を置く癖のため。水彩の時はそれでリズムをとることもあり、必ずしも悪い癖とも言い切れないが注意が必要だ。まあ、試験的な作品だからいいとしておく。

黒という絵の具は、艶があると締まった深い感じを与えるが、艶が無いと灰色に見えてしまう。水彩の場合はアクリル板を使うと黒がすごく良く見えるのはこの「艶」の効果。ここでも黒だけは艶を出してみた。「ガラスのApple」という題にしたが、そんな感じは出ただろうか。

「夏の夜のベランダ」(水彩)制作

「夏の夜のベランダ(未完・部分)」(水彩。斑点はアキーラ)

今日は終日水彩を描いていました。普段は絵画教室の生徒さんの絵を批評するだけ。偉そうに口で絵を描いています。口で描いているとだんだん理屈だけは上手くなってきて、自己暗示にかかるのか、何でも上手に描けそうな気になってきます。たまに実際に描いてみるとオッ、オッ、か、描けないじゃん、って感じでやばいです。

そんなわけで、今回はスケッチブックより大きい画面(F60号)にコッソリ「お勉強」です。

この絵を(生徒さんの絵だと思って)批評してみると、以下のようになるでしょうか。①(緑、黄、赤)それぞれの色が高彩度で主張し合い、画面が分裂気味 ②モチーフも、静物・人物・風景とデラックスに盛り込み過ぎ ですね。でも、ちっとはチアー・アップしないとやる気無くしますから急いでフォローします。①’そのぶん、元気のいい画面になってるよ ②’モチーフは確かに大盛サービスし過ぎだが、植物、人物、風景と描写レベルに差をつけているのはGood!  ③’失敗は他の人を元気にしますよ とか。

制作現場の反省としては(まだ「未完」なんですが?)、なんだか変に肩に力が入り過ぎてブリキのロボット感。こんな時は、しばらく放っておくと頭を冷やす効果があります。「ひさしぶり」ってのが肩に力が入る理由ですね。コンスタントに50~100号サイズを描き続ける必要があるってことでしょう。でも、それはあくまで勉強のため。自分自身が心地よくなるために描くなら、画面の端々まで手が自由に届くサイズがいいでしょう。10~20号くらいですかね。あまり小さい画面だと気持ちまで縮んでしまいます。

マイ・カメラ悲話

マイカメラ (CGスケッチ)

わたしは電気機器や電子機器、IT関連の機器も、というより機械類すべてが苦手だ。このブログを書いているパソコンももちろん苦手。とは言っても、パソコンの一般的機能、たとえばネット上での検索、メールの送受信、簡単な表計算、ワードなどで作る文書類。写真の取り込みと加工、簡単なイラストやデザインを描く、などには少しずつ慣れてきた。パソコンを使い始めて20年以上になるうえ、ほぼ毎日何らかの用事で使うのだから、多少は慣れない方がおかしいくらいだ。

カメラも苦手である。これでも大学1年生の時は写真部員だったのだから恥ずかしい。写真を見る面白さは多少わかったが、機材に対する研究心が全然足りなかった。けれど、今時絵を描く人で、スマートフォンか本格的なものかは別にして、何らかのカメラの世話にならない人はいないのではないか。わたしもどうしても動画を撮る必要があって、昨年末にこのカメラを購入した。

本当はこれの一つ上のグレードのものが欲しかったし、買うこともできたのだが、いろんな制約があってのギリギリの選択。なのに、いったん用事を済ましたあとはほとんど使っていない。買ったときは、これから一生懸命動画を撮り続けるぞという意気込みで、動画編集ソフトもセットで購入したのに、その動画編集がわたしにとって難しく、急速に気持ちがしぼんでしまったのだった。

コロナ禍はまだ続く。やっぱりこの機会に当初の目的を果たそうと、久しぶりに取り出した。でも、見事なほどスッキリと脳の記憶回路が空になっているのに、自分でも驚く。さいわいiPadでの描画ソフトにはだいぶ慣れてきて、いまはスケッチブックと同じ程度に気軽に扱えるようになっている。それで、スケッチのモチーフという、哀し過ぎる「カメラの使い方」になったという、涙の物語。