はだか

わたしははだかが好きだ。「ヌード」という意味でも、ストリップ(何も身につけない)という意味でもない。赤ん坊のような「はだか」。その意味でなら、「はだか」を「裸」と漢字で書いてもいいし、その発音も好きだ。

でも、そうでない意味で使われる「裸」は嫌いである。

はだかになるのは難しい。人前でストリップになるのも難しいが、赤ん坊のようなはだかになるのは、もう一生できないことなのかもしれない。どんな赤ん坊も、はだかが一番よく似合う。あのようになりたい、いや、あのようになりたいと思う心を大切にしたい、と思う。

すべすべが良いわけではない。つるつるも不要だ。そんなものより、むしろ鋭いトゲトゲのある方が美しい。刺されたことにさえ気づかないほど繊細な棘、敏感でときに痛々しいトゲもいい。少し鈍く、擦り減ったようなとげも好もしい。窓辺のサボテンたちを見ていると飽きない。

チョコボールのなかみ

「チョコボールのなかみ」を描く

2022年最初の動画アップです。森永の「チョコボールのなかみ」つまりピーナッツが入っている(と思う。まだ未開封なので)。11月頃だったか、教室のモチーフ候補として買われ、ずっと補欠の身分のままわたしの目の前にいる。

難しい光沢反射のないマットな表面、比較的シンプルな色彩で、文字数が少なめなのも描きやすそうに見えた。ただ、この青が意外に手ごわいかもと躊躇しているうちに、教室ではもっと高度な課題をクリアしてしまった。といっても、コイツの出番が無くなったとは限らない。何が難しいかは人によって異なるし、描き方によっても違ってくるからだ。

なぜこんなモチーフを選ぶかという理由はもう繰り返さないが、単純に練習用と考えれば実にお手軽。安いだけでなく、描き終わってご褒美に食べてしまえば置き所に困ることもない。そのくせ、描き方によっては馬鹿にできない高度なテクニックを磨くこともできる。壺とかバイオリンなど、描いているとき以外はただの邪魔者として生活空間を圧迫する。溜まってくると堪らない。

二日連続で午前3時まで制作。若干目がしょぼしょぼ気味。2時を過ぎるとちょっと疲れを感じてくるのは年のせいか。もう少し、もう少しと思うとつい時間を忘れてしまう。それが健康のバロメーターになっているのかも知れない。

「ITバス」に乗れないわたし

「クロワッサン」をアトリエで制作・撮影中

2ヶ月ぶりのビデオ撮影。毎週1回は撮影するのが目標だが、いまは全然できていない。時間が無いのではなく、「能力」のほう。それも特殊な能力を要求されるわけではなく、たいていは経験を重ねれば誰でもできることなのだから、単にサボっているとしか言いようがない。

アトリエが狭いことがサボりの遠因。「片づけ」という事前のひと手間が必要で、この作業のために意欲がドドッとそがれてしまう。回数が間遠になると準備作業がスムーズに流れなくなり、カメラやほかの機材に表示される数値の意味も忘れてしまうので、歯車が二重三重に嚙み合わなくなってしまう。撮影機材を出しっぱなしにしておければいいのだが、我が家のスペースは中途半端でとても使いづらい。

2019年から、コロナ感染による緊急事態宣言などで空白の時間ができた。最低でも1~2年はそんな状態が続き、その後の世界観にも必ず変化が起きると思ったので、以前から必要性を感じていたCGによる制作や映像制作の練習を、この機会に本気でやってみることにした。撮影機材にも自分なりに投資し、時間を割いて勉強、練習を始めた―ところまではよかった。

そこまでは良かったが、突きつけられたのは想像していたより遥かに自分がアナログに凝り固まった人間だという現実。自分ではもう少し柔軟性がある気がしていたが、始めてみるとガチガチで、すっかり「絶望の海の縁にたたずむ流浪の人」。けれどもう後戻りはできないし、戻ればわたしの絵画人生もそれで終わる。――のん気に歩いているうちに後から来たITバスに追い越されてしまった。バスはどんどん遠ざかる。しょうがない。バスの軌跡をたどりながらてくてく歩く。息子は「そんなに先じゃないよ、次のバス停は」と励ましてくれるが、ちゃんと跡を追えているかさえもう定かではない。ITの世界では、続けているうちに急に翼ができて飛べるようになる人もいるらしい。それを希望に、明日もあれこれいじって行きまする。