子どもの情景・夏

「子どもの情景・夏」(試作) 水彩

写真と同名のYouTube用ビデオを現在編集中。残念ながら?この「試作」の方が出来が良いんだよね。言い換えれば、ビデオの方がイマイチってことだけど、そんなことは日常茶飯事。いま、甲子園で高校野球やってますが、それぞれお互いに練習試合などしあって、その時は圧勝したのに本番では真逆の結果、なんてのは普通だからね。野球も投手のコンディション次第で大きく結果が変わるけど、絵だってその日の気分や体調で結果がガラッと変わってしまうもの。だから、試合はやってみないと分からないというし、絵だって「一期一会」なんて言うわけよ。同じ場所で、同じ対象を描いたって、2枚同じ絵を描くことは無理。

同じ絵が複数の人の手に渡る。それが印刷という発明であり、その絵画版が「版画」である。ところが、版画をちょっとでもやってみた人ならわかるけど、実は版画もそれが手作業である限り、一枚一枚が微妙に異なるのである。いまNHK大河ドラマで江戸時代の版元、蔦屋のことを取り上げているが、本のかたちになっても、「出来・不出来」はあるのである。もちろん素人目にわかるほどの違いはないが、分かる人にははっきり分かるのである。今でも神田あたりにいけば、たくさんの江戸時代の版画なども売られている(はずだ。最近行ってないから)。そこには同じ絵柄でも「良品」「佳品」「並み」などと差がつけられている(はずだ)。エディションは一つの目安に過ぎないのだ。

大脱線。版画の話してる場合じゃなかった。もっと大事な話があったのだけど、まあ、この絵を見たら、しばし絵の方に心が行ってしまった。まあ、ビデオも期待していてね、ということで終わっとこう。

知恵なくば死を

「自転車の姉妹」試作1

ごく当たり前の話だが、「戦争をした方がいい」と口に出して言う人は少ない。誰もが「一応は」平和を望んでいる、かに見える。少なくとも表面上は。たまたま終戦の日前後に、トランプ・プーチン会談があったから、余計なことを考えていた。

戦争が終らない、無くならないのは「戦争をしたい(させたい)人がいる」からだ。現代社会では、歴史だの民族だのと理屈をならべながら、戦争開始のための結論としては「(我々の)平和を害する敵がいるから、自衛のためにそれを排除しなければならない」というワンパターンに行きつく。ウクライナ戦争しかり、イスラエルのガザ侵攻、イランへの爆撃しかり。すべては「自衛のため」。それには誰も逆らえない「魔法の言葉」。自分たちの“自衛”を口にしさえすれば、相手を皆殺しにしても構わないかのようである。そして大きな武力を持つ方が戦争をしかける。武力の小さいものはゲリラ戦を戦うしかない。

予想通りトランプ・プーチン会談は “ウィンウィン” というより “ラブラブ” だったらしい。プーチンは言いたい放題で、トランプは “恋人” への「白馬の騎士」になれて大満足の様子に見えた。「ウクライナをプーチンにプレゼントすれば、すぐ平和になる」とばかり、「ウクライナが存在するから戦争が起きる」というプーチンの狂った言い分を100%鵜呑みにした。当然プーチンは頗るご満悦のご様子。アラスカはロシアの植民地だと言わんばかりの、まるで自国のクレムリン宮殿で記者会見しているかのような、リラックスした雰囲気であった。
 トランプはプーチンの前ではエカテリーナ女王を前にした門番のようにかしずくばかり。さすがに米国内でも、世界相手に関税戦争を吹っかける、傲慢なこの男の、この真逆な態度はどこから来るのか、と疑問の声もあがってきているようである。

「文明は(不可逆的に)進歩するが、文化はそうではない」とは誰の言だったか。いま、ロシアは文明的にも進歩というより退化し始めている(ように見える)。西側先進国(自らを「先進国」と呼ぶ、思い上った(そして恥ずかしい)言葉が笑わせるが)もまた、「アメリカ病」という長く沈殿していた悪い埃を吸っていたうえに、さらに「トランプ・プーチン病」という流行病に自己免疫反応するなど、胸(もしかすると「脳」?)を悪くして死にそうだという。―ある意味で、民主主義の自業自得―知恵なくばいっそ死をたまえ。

終戦記念日

頭に浮かんだまま、とりあえず描いてみる。雲のエスキース
車で通りすがりの写真。なんて美しい影だろう

今日8月15日は日本にとって最後の戦争、太平洋戦争の終戦記念日。8月はとかく戦争にまつわる事柄の多い月だ。昭和天皇の玉音放送から80年。石破総理が「談話」を発表するとかしないとか言ってるうちに、トランプ・プーチン会談がアラスカのアンカレッジで、日本時間の明日午前中に始まるという。

2022年2月24日にプーチンがウクライナに戦争をしかけて以来、ずっとこの戦争の行方を見守っている。最初は21世紀にこんな馬鹿馬鹿しいことが起きるのかと、呆れたが、ウクライナ戦争も4年目に入り、世界が壊れかけている(新しい世界が生まれる?)ことの象徴なんだな、と思えてきた。

ニュースではトランプ・プーチン会談を、「停戦合意に至る道筋を見出せるか」などと半信半疑の論調だが、二人とも本心では停戦などに興味を持っていない、とわたしは思う。本当に戦争をやめる、やめさせたい気があるなら、ゼレンスキー氏も入るのが当然だから、それがない以上、初めからその気がないのはわかり切ったことではないか。
 プーチンにとって一番の関心は「経済制裁の解除」だし、トランプにとっては「ロシアとの経済交流とプーチンをどう助けるか」に決まっている。そのことは二人の間で、とっくに暗黙?の了解ができているはず。議題の中心は、いかに辻褄を繕って、独裁者2人だけのウィンウィンの「経済関係」を維持するか、そのつじつま合わせの言葉選びに終始するだろう。期待しても無駄だ。

戦争は終らない。どころか拡大の方向に進んでいる。トランプ個人として優しい面があり、人殺しなどしたくない気持ちを持っているのは感じるが、お金の為なら他人に人を殺させても「見ないことにできる」センスも持っている。ガザにおけるイスラエルへの絶対的な支持をみれば一目瞭然。―ロシア連邦はガタガタきしみ始めている。一方アメリカ、ヨーロッパ、日本なども関税をひとつの亀裂として、こちらもきしみ始めている。どこかが、そこに火を点ければ戦争は一気に拡大するかもしれない。
 「日本にとって最後の戦争」と初めに書いた。それが「最近の」となるか「最後の」となるか、民主主義の限界が見えてきているように思う。