黄昏(たそがれ)

夕陽(制作中)

銀座でのグループ展も明日で終わる。10回目の節目の年。わたしの中での絵画デビューを、20歳での上野の公募展入選ということにすれば、ちょうど今年で50年になる。公募展も25年を経験し、今年がいくつもの節目と重なっているのもなんとなく因縁めく。

夕陽のあたるアパート群。この中にもいろいろな趣味、嗜好の人々が住み、様々な生活模様があるはずだ。陽は等しくなど当たらない。息苦しい西日に脚を投げ出す人もいれば、陰の中で少し厚着をしながらページを繰る人もいるだろう。平衡状態ではモノは動かない。不均衡だからこそ、世の中は回っているのかもしれない。象徴的な風景。

「ぐるる」体育施設場・秋」水彩 コットン紙、F4

だいぶ秋めいてきた。月曜朝、東京・銀座のギャラリーへ作品を運ぶ道すがら、陸橋の上から雪化粧の富士山が見えた。すでに七合目あたりまで白い。その時、そういえば、「北海道は平地でも1回目の雪」の報道がすでにあったなあと思い出していた。

気候温暖化。子どもの頃は、青森県でも10月半ばが最初の霰(あられ)。その後、数回の霰を経て「初雪」。すぐ溶けるが、そんなことを数回繰り返して、本格的な降雪。根雪になって春まで残る。

雪が降ってくると、わたしの五感はざわめき、外に出たくて、うずうずしてくる。「雪の風景」の中にいるのが「好き」。雪の色も好き。のんのんと雪を降らし続ける灰青色の空と、そこからぴゅうぴゅうと手裏剣のように降ってくる雪、花びらが舞うように、ゆっくり、くるくると回りながら落ちてくる雪、まるで粉のように乾ききって、パサパサと払えば落ちる雪。それらはみんな別々の色をしているんだよ、知ってる?

でも、気がつけば、ここは埼玉県。気象的にはっきりと分かる季節変化は小さいぶん、逆に言えば季節感の変化に鈍感な人には「微妙過ぎて、難しい地域」なんですよね。埼玉県人って、季節の「微妙な」ニュアンスの違いを見分ける力を平均すれば、日本一、いや「世界一」かも知れませんよ。そんな埼玉の「微妙な」「秋→冬」です。OK?—明日は銀座へ行く予定です。

空白

「旅がらすの男」F4  テンペラ 2011

昨日(10/23)から「風土に生きる・X展」が銀座・ギャルリー志門で始まりました(~28(土)まで)。昨日は初日。無事に始まり、ホッとしています。

わたし個人は今回で、この展覧会を離れます。たぶん、都内で発表するのも今回が最後になるでしょう。発表する機会はほとんどなくなりますが、どんなかたちであれ、絵は死ぬまで描いていくと思います。