展覧会報告

久しぶりにフランシス・ベーコンの絵をナマで見た。やっぱりええわ!
写真(映像も)表現が多いのは「時代」ですね。でもこんな表現、AIにはまだ無理だと嬉しかった

初めに東京・乃木坂の国立新美術館へ行った。ロンドン・テートギャラリー所蔵の作品による「YBA&ビヨンド」展。1990年代のイギリスのアートの尖端の穂を抜き上げて見せた展覧会といえばいいかな。国立新美術館のキュレーションでは内容がピンと来なかったので、わたし流に言い換えたがやっぱりピンと来ない。ま、そんなことはいいか。

「フランシス・ベーコン」。やっぱりいいね。20代の頃のわたしは彼の制作スタイルに夢中だった。その頃彼は60代だったと思うけれど、作品は既に現代アートの「古典」になっていた。

前にも書いたが、わたしは{英国のアート観」(それとイタリア人の感覚)をフランスより、ましてやアメリカなどより数段重要視している。短い言い回しで解ってもらえるなどとは思ってもいないが、あえて言葉にすれば、イギリスのアートは一筋縄ではいかない挫折と諧謔性の繰り返し、積み重ねによる歴史観、そこからくる自己客観視の凄まじさが、歴史的に他の国とは別次元のレベルになっている(それが、かつてイギリスが世界帝国であったことと無関係ではないとわたしは想像するが)、とずっと感じ続けている。アメリカは、イギリスで生まれたアートの「増幅器」の役目、そしてビジネス化の功罪の方が大きい、というのがわたしのアート史観である。
 下の写真は、作家自身の(飲んだくれの)父親とその妻の夫婦喧嘩中の写真だろうと解説にあった。馬鹿馬鹿しいようだが、これこそAIにはできない仕業なんじゃありませんか?

浅見文紀「春の雪」 油彩、F20号

もう一つは、日本橋三越本店で開催中の浅見文紀油絵展。埼玉県秩父市在住の彼は近くの風景をライフワークにしている。若い頃は、といってもわたしよりずっと若いのだが、「段ボール」をせっせとモチーフにしていた。今回も1点だけ同モチーフの作品があるが、「卒業」します、という意味だったのかもしれない。
 取り上げた作品について、「桜の時期に突然雪が降ったんです」という。そんなこと言われなくても解るのが、絵というものだ。と彼はこの絵に「雄弁に」語らせています。凄いですね。彼の真面目な性格も、実に正直に現れていることに共感します。

1ヵ月ぶりのアップロードです

約 1か月ぶりにアップロードしました。その間に五月頃の陽気があり、草木の芽が急に伸びました。すでに満開の紅梅、白梅がちらほら見えています。埼玉県は明日から県立高校入試が始まるようです発表は3月6日)。受験生はオリンピックどころではなかったでしょう。卒業式、入学式と春の行事が続きます。暦の上ではまだ2月なのに、気分は3月を飛び越えて4月も半ばのような感じです。

今回はナレーションを完全にやめてみました。それ自体もかなりの時間を費やすだけでなく、そもそも絵というのは見れば解るから絵なのだし、ヘタな解説など百害あって一利なしということも考えてのこと。

今日は朝から雨だったから、ウォーキングにも行けず、10時間以上ビデオ編集だけに集中していました。普通に描いたら最低でも2枚は描く時間があったけれど、絵というのは2倍の時間があるから2枚描けるという単純作業ではないから、そんな計算など無意味。ボーっとしている時間の方がむしろ大切なくらいです。夕刻、やっとアップロードにこぎ着けたけれど、まあ、ぎりぎり今月中って感じです。これから明日の準備です。

非対称性

「子どもの顔」  ペン

今日(23日。天皇誕生日)は暖かい春の日になるという天気予報どおり、当地でも22℃まで気温が上がったようだ。確かに、わたしも半袖で!自転車を漕いでいた。「春一番」は日本のどこかで、昨日記録されたような気がするが、現実はまだ2月ですよ。黄砂も花粉の飛散も注意報だらけの「春の日」。今夏の恐ろしさを予見せざるを得ない。

タイトルの「非対称性」とは「対称性」がないということ。たとえばボクシングの試合なら、相手のパンチに対抗できるのは、自分のパンチしかない。手段としては同じなので、これは「対称性」の例。

同じようにボクシングの試合に例えるなら、相手のパンチに対して逃げ回りながら、「あいつのグラブには○○があるから反則だ」とレフェリー・審判員、及びメディアに訴えることで、(「反則勝ち」という)勝利を収める、というのが「非対称性」。
 例が悪かったかも。「オレは金も権力も持ってるぞ」と威張る相手に、「わたしは『恥』という概念を知ってるよ」と論理・価値観を変換するのも、「非対称性」であるらしいんだ。わたしも最近になって耳についた言葉なので確たる自信はないが、そんなところではないかと想像する。

「非対称性」という概念を知ることは、無用の摩擦、無用のストレスを軽減するキーワードではないか、と思える。数日前、ロシアの大学で、学生の軍隊への志願率が低いことについて、学長が「臆病で、恥知らずだ」と「諭した」ことについて、学生たちが「学問の自由」を主張したことが「非対称性」の例だというのは、間違いですね。