文句があるならかかってこい

と、トランプは世界全体に対して肩を怒らしてるんですよね。彼の言い方は、「お山の大将ごっこ」レベルで考えると、極めて明瞭だ。それが分からないのは、生涯一度も(そんな低レベルの)喧嘩などしたことがない、エリート社会に育った人ばかりが世界のリーダーになっているからかもしれない。
 話を戻すと、ヨーロッパ、特に同盟国であるNATO諸国に対して、「オレ(=トランプ=アメリカ)にぐじゃぐじゃ文句言うけど、オレの代わりになれるってんなら、なってみろよ。そんなこと、できっこないだろ?」とバカにしているわけだよね。彼の、ヤクザそのままの言動に比べると、「ドラえもん」のジャイアンにさえ「日本的気遣い」を感じてしまう。それに、エリート達がビビッている光景かな。

日露戦争でなぜ日本が勝てたかといえば、ロシアの勝利を望まない国が幾つもあったから(特にイギリス)。それらの国々の、公式・非公式のサポートなしに、(ルールに則った)格闘技なら、日本が戦って勝てる相手ではなかったろう。「戦争」というマスコミが作り上げるドラマのようなものではなく、本物の「生きるか死ぬか」というサバイバル戦争にはルールなし、使えるものは何でも使うし、時間制限もなく、ジャッジもいない。
 ウクライナ戦争におけるロシアの戦いを見ればわかる(唯一、核兵器使用だけは留まっているが。それも追い詰められれば分からない)。戦争での負けは単なる「一敗」ではなく、「(国家の)消滅」であると同時に、プーチンの場合、自らの死に直結するからだ。

確かに、いま2026年1月時点でアメリカと1:1で戦争して勝てる国はないかもしれない。けれど、戦争は前述のように「ルールのはっきりした」格闘技のようなものではない。戦争はリングの上ばかりじゃないどころか、1;1のつもりが、いつのまにか相手が誰であるかすら曖昧になることは、毎日のニュースを見ていても解る。

もしも、世界の全ての国がどれもベネズエラと大同小異だとトランプが思っているなら、アメリカはむしろ危うい、と思う。弱い相手のはずのベトナムで、アフガンで、アメリカはなぜあんな惨めな負け方をしたのか、そこがどうもよく理解できていないらしい。ロシアと同じく、「大国の傲慢さ」が染み付いてしまっているからだろう。
 ライオンや虎でさえ象を倒すことはできない。けれど、たった1℃の気温上昇が、象の群れ全体を絶滅させ得ることも、今や同じように世界の常識になっている。

平和評議会?

ベッドの上で、思いつくままアイデアを描いていく

日本時間の明日、アメリカ、ロシア、ウクライナの三者による和平会談が、アラブ首長国連邦のアブダビで開かれるらしい。無駄なことだと誰もが分かっているのだが、要はトランプのノーベル平和賞へのポイント稼ぎに皆が付き合わされているだけのこと。

まあ、ウィトコフだけはごまスリ分のメリットはあるだろうけど。それにしても、よくもまあ恥ずかしげもなく「欲しい、欲しい」と個人的な欲をここまであからさまにねだれるものだ、と思う。人間も確かに動物の一種だと、別の意味で教えてくれる。

報道によると、ノルウェーのヨナス首相に敢えて書簡を送り、ノーベル平和賞をもらい損なったことへの責任がノルウェーにあると非難したのだそうだ。この書簡は、既に欧州各国の首脳にも共有済みだとか。呆れるというより、一種の精神的な問題を抱えているのではないか、としか思えない。それだからか、もっとひどいのが、22日(つまり昨日)(国連を脱退するつもりで?)新たに発足させた「平和評議会」という超マユツバなシロモノ。

この中で、自分は生涯議長を務め、入会しない(国単位ではないらしい)奴には関税などで制裁、たとえ参加(国?)でも反対意見を述べる奴にも制裁するという(この企画への入会を拒否したマクロン大統領に対して、直ちにフランス産ワインに200%の関税をかけると発表した)。要するに絶対服従せよということ。

普通に考えればトランプのアメリカ大統領としての任期はあと3年。ということは、大統領でなくなっても自由に他国に関税をかけたり、文字通り「帝王」として君臨すると宣言していることになるだろう。大方の想像通り、彼は絶対君主、しかも世界の独裁者になりたいのだ。プーチンを崇め、金正恩や習近平にことさらな好意を寄せる意味を、もう隠そうともしなくなってきた。

最初の話に戻るが、そんなわけで、ウクライナかロシアかのどちらかが崩壊しない限り、戦争は終わらない。残念だが。

ベッドで制作する

予定通りの手術が、昨日夕方、無事終了。局所麻酔だったが意外に効いたのか、術後の歩行もふらついた。眠くて仕方ないのに深く眠れず。そのせいか、今日は頭が痛い。

自分のベッド周りは、他人の迷惑にならない限り、自分の空間だ。小さなスケッチブックと勉強中の参考書、それにiPadだけ持ち込んだ。入院というと、膨大な時間が天から降ってきたような気持になるが、夜9時には消灯するし、案外時間はないことを前回の入院で学んだから。

とはいえ、入院中のベッドから立派な作品を出品した人をわたしは何人か知っているし、それが傑作だったことさえある。“病院でここまでやるか” という衝撃。命の限界を感じ、いても立ってもいられない、という心境がそこに溢れ出していた。どこでも、どんな条件下でもやる人はやるのである。

わたしにはそこまでの勇気も覇気もないから、とりあえず入院日数分のスケッチを描くことと、参考書を一度読み終えること、iPad で次の作品へのアイデアを出せればOK。欲張らないことにしておく。