表情

     「少年のかお」   ペン

子どもと言えば、年齢にもよるが「可愛い」から始まって、「あどけない」「無邪気」「輝くような」「エネルギーに満ちた」等々の “前向き” な褒め言葉の羅列に埋まっている。可愛げが無い、疑わし気な、陰気な、反抗的な、などと言う言葉を子どもに見つけ出すとき、「子供らしくない」という一方的な大人目線で、それだけで低評価してしまいがちだ。

映像などでガザの子どもたちの表情を見るとき、小さな子どもにも複雑で大きな不安や心の揺れのあることが、誰にでも見て取れる。ガザのように巨大で直接的な圧迫でなくても、例えば母親がちょっと病気で寝込んだりすると、子どもの顔にもすぐに影が現れる。(子どもは)無邪気で可愛いだけと思いこんでいるステレオタイプの大人の方が、よっぽど無邪気で可愛いと、子どもの方が呆れているかもしれない。

表情をできるだけ消し去り、たとえば素朴な機械式ロボットのようだったり、目も鼻もない、卵の殻のような顔を描いても、見る人はそこに(無意識に)「表情」を読み取ろうとするものらしい。表情を読むことが、人類にとって生きるために必要だったからだ、とも言われているが、たぶんそうなのだろう。

好きな顔、嫌いな顔、誰にも顔に対する自分好みの階級?がある。それは時として対象の顔に自分を鏡のように映しているせいなのかもしれない。一本の輪郭線を修正するとき、微かに混じりこむ「好み」のようなもの。そこにスケッチを描く人のなにかが、きっと写されている。