何を見て描くのか

「水溜まりのある道」習作  水彩

高い所から見下ろした、未舗装の作業用道路。そこに水が溜まり、青い空が映っている、それだけの風景。「作業用道路」というのが、この絵のミソだと思う。

路上の水たまりに空や雲が映っている風景は、多くはないがそういう発想がないわけではない。大きめの池や湖に空が映っているのはありきたりだ。そういう意味では、それが作業用道路だからと言って、大して変わらないといえば、変わらない。

それがなぜ、わたしの心を捉えるのかと言えば、「すぐそこにあるのに、もう手が届かなくなる風景だから」なのかもしれない。水たまりに空が映るのは明日でも明後日でも、いつでも起こりうる。湖や池は少し遠いけれど、そこに行きさえすれば、かならず在る。
 けれど、こうした作業(作業の種類までは描いていないが)は、明日には無くなっているかもしれない。そんな仕事は(仕事自体は無くなるはずはないが、そういう仕事を目にする機会はどんどん遠ざかる)もう、「都会人」たるわたしたちの手に届かないところに行きつつある、それを忘れちゃいけない。そんな切なさがわたしにはある。

トラックが水溜まりを通過するたびに、映りこんだ青空は割れ、湧きあがる泥水の中に呑み込まれていく。やがてふたたび、青い空が戻り、数日後にはそこは乾いて、軽い土埃を巻き揚げる。そういうストーリーを一枚の絵に込める。だから、このスケッチを描く。

暑さを忘れて

「夏の或る日」  水彩

今年の夏は暑かった。関東でも8月一か月の平均気温が2.3℃も高かった、と気象庁から発表があった。東北から北海道にかけては同じ一か月で4.7℃も高いという。まさに異常気象というしかない暑さだった。

が、「だった」という過去形はまだ早そうだ。この先も関東以南ではまだ30℃以上の日が何日もありそうだし、猛暑日さえある得るという。その暑さを、こういう絵を描くことで凌ぐことができる。まさに絵の有難さ。描いている時は暑さも忘れている。

ここは鮭の絶好の産卵場所。適当な砂利底で、浅い割には常に魚影の濃い場所だったことも思い出した。

石破退陣

       「Chloéにて」  ペン・水彩

石破首相が総理を辞めることになったらしい。せいぜい今の自民党の中では、石破氏が最も国民目線に近いと考えていたので、個人的にはもったいなかったなあ、と感じるところがある。

石破氏は党内随一の政策研究家、と政界以外の多くのところでも言われていたらしい。それは自身の派閥が小さかったからでもあろう(カネの成る木を持っていなかった)。数(カネ)の力ではなく、政策で競うしかなかったこともあろうが、個人的にも政治家はそうあるべき、と確信していた節が随所にある。いまさら言っても始まらないが、その真面目さが安倍・麻生(派)の反感の素でもあったように見えた。古過ぎる日本政治の一面をあらためて見る想いがする。