見えないところで切り捨てる

縄文リフレクション習作 ペン・水彩

現代(のたくさんのアイテムやシステム)についていけない、という人が大勢います(いるはずです)。高齢者の方の割合が多いだろうということは容易に想像できますが、若い人の中にも、同じように感じる人だっているはずです。

ついていけない、と感じる対象の多くは、いわゆるIT関連のこと、パソコンやスマートフォンの使いかた、またそれを使ってのオンラインでの公的、準公的な登録や予約などのようです。例えば納税申告。今でも紙での申告は可能ですが、オンラインで申告する人の割合が増えるにつれ、紙での申告、ちょっと混み入った事情があったり、不明な点があって税務署に訪ねたい場合など、窓口が縮小されていたり、そのための予約を別にとらなくてはならず、何度も足を運ばなくてはならなくなった、などとよく聞きます。

オンラインで出来たらどんなに楽かと、パソコン、スマートフォンでサクサクできる人を羨ましく思っています。「覚えればいいじゃないか」。それはそうなんですが、関節も硬く指も動きにくいうえ、目も見えにくくなるので拡大すると情報が画面に入りきらず、スクロールするとその画面がどこかに行ってしまう、なんてことの繰り返し。しかも、何度くり返しても覚えにくい。そういう事情は若い人には想像しにくいでしょう。
 政治家のように有能な秘書を雇えるなら問題ないかもしれませんが、そもそも高齢者には収入の道が閉ざされているんですよね。いまは自助努力で、なんて言われる時代だから人に聞くことさえ憚られるようになってきました。結局できるようになれず、仕方ないと諦めていくわけですね。

でも、日本全体がそれでいいんですかね。本人が諦めてくれれば行政としては何もしなくて済むし、若い人にとっても負担が減って助かる、そういう感覚でいいんでしょうか。一種の切り捨て、かつての姥捨て山が人目に触れないところで全国に出現し、一定の年齢以下の人だけが生活を満喫するのを、豊かな社会と呼ぶんでしょうかね。まあ、それは極端な例だとしても、誰が総理大臣になるのかの前に、どういう社会を作るためにどういう人が必要かを考えるのが先ではないでしょうか。

つながる風景

秋のカフェテラス  ペン・水彩

今日、ひとに勧められて、埼玉県春日部市まで中村桂子氏の講演会を聞きに行ってみた。生命の歴史と地球環境をひとつにした「生命誌」を提唱している。もともとは生物学者である中村さんの生命誌から見る環境論を、優しい口調で語られた。

すべてのことはつながっている。今ここに存在しないものも、かたちを変えて繋がっている。時空を超えて、とはよく使われる言葉だが、それは文字通り事実だということ。

「分からないことは面白い」とも中村さんは言われた。ひとはまさに一歩先の自分が分からない。わかっているようだが、無数の選択肢が目の前にある。

ショーウィンドー3

「ショーウィンドー3」   水彩

好き嫌いは別として、とりあえずこのモチーフはここでいったん中断。習作1,2の反省をいかし、構成もそれなりに納得できるものになってきたし、描きたいテーマもいちおう入れてみることができた。

描きたいテーマとは、ウィンドーに映っている山の風景。ショーウィンドーという、いかにも都会的なイメージ(わたしのような田舎っペにとっては)に、同じ都会の雑踏を映すのではなく、そこから遠く離れた地方の、自然の風景を入れること。少し歪んだ風景もいいかな。

背景の「花」は迷った末にマスキングしたが、あとからガッシュか何かで描き加える方が(手順的には)10倍くらい簡単だったと思う。