九州の豪雨災害

「無題」 ペン

8月10日から熊本から長崎を中心に、九州北部から山口へと1~2本の線状降水帯が貼りついたようになり、豪雨災害が発生しているというニュースが途切れない。少し前にも同地域から山陰にかけて、また北陸、新潟などの日本海側にも大雨があったばかりだ。

経験と対策は蓄積されている。ただ、自然というものは、時に人間の努力のはるか上を行く。
 これだけ毎年のように災害に晒されるなら、どこかもっと災害の少ない県などへ移住する人が増えそうな気もするが、現実はそうではない。学校とか仕事とか、いろいろ事情があるには違いないけれど、結局地域に対する愛着のようなものがそれを上回っているのだろうと思う。

わたしはそうした心情を理解したいと思うけれど、一方で不憫であるとも思う。わざわざ苦労する必要などないからだ。災害対策においては、つい予算と効率ばかりに目がいきそうだが、こうした数字に出にくい心情なども、数値化、視覚化する研究、制度がもっと必要だと思う。

雲が凄過ぎる

夕焼け雲の写真を撮っていた
強い風が吹いてきた
雲がずんずん大きくなっていく
あの雲の中はどうなっているのだろう

先日「夕焼けが凄過ぎる」という記事を書いた(7月3日)が、今度は凄過ぎる雲を見てしまった(8月8日)。恒例の広島原爆の写真を何度もメディアで見せられ、しかも明日は長崎原爆の日という夕方、自転車で帰宅中、急に背後から強い風が吹いてきた。自転車を止め、振り替えると、上がテーブル状になった雲が、覆いかぶさるように急速に湧きあがっていた(上から2番目)。原水爆のイメージが一瞬脳裏に浮かぶ。

上が層状に、平らになる雲自体はそれほど珍しいものではない。積乱雲の上端が対流圏界面(成層圏との境目。両極や赤道上など場所などにもよるが、高度6km~17kmといわれている)に達すると、雲はそれ以上高くなることができず、横にテーブル状に広がっていく、いわゆる「かなとこ雲」で、この雲もそういうものだということはすぐに分った。つまり、雲を成層圏近くまで押し上げるほどの強い上昇気流がそこにある、ということだ。

見たことがない、と思ったのは一番上の雲が、スカートの襞を上下逆にしたような、襞状になっていることだった。そしてはっきりと分かる三段積み。さらに下から四段目の雲も頭を出し始めた。これは帰宅までに降られるに違いない、悪くすると雹(ひょう)になるかもしれないと、覚悟した。

けれど、そこまでだった。それ以上迫ってくることはなく、ゆるく広がっていくだけになった(といっても、この大きさだから、両端は凄い速さで広がっているはずだ)。原爆の(ような)雲を、よくキノコ雲と呼ぶが、これも初茸や一本シメジのようなかたちをしているから、キノコ雲といったら紛らわしいだろうか。
 不気味でもあるが、夕陽を浴びて雄大に広がる様は、神々しさをもまた感じさせた。

盛夏の候―アップしました

水彩での「盛夏の候」をアップしました。またまた長い間隔になってしまいましたが、「盛夏」どころか、「地獄の暑さ」だったから。ビデオの中で「涼しそうだからもうちょっと『熱』を加えよう」なんて吞気なこと言ってますが、現実はそれどころではなかったことは、皆さんも味わった通り。涼しい「盛夏」をぜひご覧ください(笑)。

先日の暑さを絵で表現するには、それにふさわしいモチーフが必要だが、青い海→爽やか、になってしまうし、入道雲→夏一般、などになってしまう。アイスクリームやかき氷は夏の風物詩だけど、狙いは涼しさを感じさせる素材ですよね。見ただけで汗が出そうなモチーフ、しかも夏といえば何があるだろうと、考える。救急車では川柳になってしまう。

例えば登山。登山そのものは青い海と同じく、爽やかな空気を感じさせもするけれど、重いリュックと登山靴あたりに焦点を当ててみたら、もしかすると経験者は汗を感じるかもしれない。経験のない人は?うーん、まあ想像してもらうしかないね。

最近、ウォーキングしながら夕焼けの雲をよく見る。雲は毎日見ているのに、なぜか見飽きることがない。三度のご飯のようなもの、とは違うけれど、いつか夏の雲だけの連作をしてみようと考えている。