2024-大晦日

「顔の中の緑」  水彩 F6

いよいよ2024年も今日で終わり。毎年のことながら、今年もなんにもできなかった、というより「やらなかったなー」という一年だった気がする。スケッチや作品もたいして描かなかった。せいぜい100枚ちょっとだろうか、ひと桁足りない。大作がないのは今年初めて。

若干話は逸れるが、「顔の中に緑を入れる」という、それだけのことが少なくとも多くの人に嫌われるのはなぜなんだろう。それが今年、胸に残った疑問のひとつ。どぎついメィキャップや加工されたアンバランスな顔などでさえ既に許容範囲になっている(とわたしは感じている)のに。絵を描く人、絵を見る人には、そういうことにこだわらない人が多いと思っていたのは、わたしの勝手な思い込みだったのだろうか。

来年は今年よりもっと楽しく描こう。まだまだ苦しみながら描いている。それじゃダメだ。そして、もうちょっと頑張って、やれることはやろう。

年末になって

昨日8:00予約公開でアップロードしました。年内に間に合って良かった。タイミングとしては1ヶ月くらい遅かったが、仕方ない。天気予報で大雪のことを聞くようになってから思いついたんだから。その前に、クリスマス用の動画をぐずぐずと考えてばかりいた。

まあまあそれなりの内容にはなったような気がするけど、YouTube的には内容などどうでもよく、視聴回数、時間さえ取れればいい。が、視聴する側としては逆に視聴率など関係ない。クリエイターはその両方を見なければいけない。三者三葉の立場。

時どき、年賀状のアイデアを作っている(今更だけど)。一度作って、数枚プリントもしてみたがどうも気にいらない。そうこうしているうちに大晦日も近づき、年賀状を出すこと自体できるかどうか、という状況になっている。わが家では、年賀状を出しているのはわたしだけ。家族はもうやめた。

時代の流れと言ってしまえばそれまでだけど、不器用な自分としては流れに乗ることなど到底無理で、できればどこかの岸に身を寄せて(流れ着いて)、流れを傍観できるなら望外の幸せ、という心境だ。でも、おそらくすでになす術もなく流れの中で砕け散り、うたかたの泡と消える直前に生きているだけなのに違いない。心残りなど限りなくあるが、それもまた水滴の中の塵芥に過ぎまい。

日の温み

関東地方の一部、わたしの住んでいるあたりはここのところずっと晴天が続いている。たまに強い風もあるが、飛ばされるほどのこともない。まあまあ、穏やかな年の瀬だと言っていいだろう。

地球の人口は2024年で81億人を越えている。プランクトンとかハエとかそういうものを除けば(いや、ハエより多いかもしれない)、いわゆる動物の中で、人類ほど多くいるものは他にない。

食料とエネルギーを他の動物から奪い消費するだけでなく、知識を使い、加工して新たな資源として利用することができたからだ。しかし、一人の人間が100年も200年も生きてはいられないように、あらゆるものには限界がある。地球上の陸地の上にたとえ500億人が立つことができたとしても、立っているだけでは人は生きられない。木も草もなく、鳥さえいない地平線の向こうまでぎっしりの人間が、坐ることさえできずにただ立っているだけでは、それはもう「繁栄」という名の、地獄と呼ぶしかない地球の姿だ。

もちろんそうはならない。そこまでいかないうちに、人類は殺し合って半減するはずだからである。地球の平和は、人類が滅びることでしか生まれない―そんな妄想さえ浮かぶ年の瀬でもある。穏やかで温かい日差し。それは誰にも公平に分け与えられている、と思うのは浅い夢に過ぎない。多くの場合奪いとり、奪われるものとして、人類は生きてきたのだった。
 この子も、食料とエネルギーと平穏を奪い取られないように、ずっと思案を巡らしているのかもしれませんよ。