選挙と暴挙

時には想像でスケッチしよう

中央アジアのジョージアで先日、国会議員の選挙があった。たまたま日本も一昨日、衆議院(議員)選挙があり、自公が大幅に後退したばかりなので、ついでにでもちょっと目を向けて見たらどうかな、と記事にしました。日本の選挙結果は、概ね予想通りの結果になったようですが、わたしは、ジョージアの選挙結果も、衆議院(議員)選挙と同じくらいの関心を持って見ていました。

「なんでジョージアやねん?」。そもそもジョージアという国が地球上のどこにあるか、日本人の中には知らない人もいるかもしれません。ぜひ、スマホで地図を見て頂きたいと思います。ワイン好きの人などは知っているかもしれませんが、ニュースにも滅多に出てこないし、出てもほぼロシア関連ですから、そちらの方に注意力が向くのも、ある意味仕方ありません。

ジョージア、ウクライナそしてモルドバ。いまウクライナ戦争が黒海周辺を発端に行われていますが、この3国は黒海に面して繋がっています。そのジョージアの国政選挙(定数150)で、親ロシア派の議員が多くを占めました。大統領(ちなみに、女性です)自身がこの結果を認めず、(与党ではなく!)野党と一体になって「国民的なデモ」を呼びかける事態になっています。ロシアが絡むと、必ずと言っていいほど起きる「違法投票」「選挙結果の改ざん」ということです。どういうことなんでしょうか?

少しだけ歴史を調べ、少しだけ想像力を働かせば、容易に答えにたどり着く事ができるでしょう。でも、今はそれを書く気持ちが起きません。

遠近法の本質

ピンクの花と蘭のスケッチ

遠近法と言えば「透視図法」をすぐ思い浮かべ、「あぁ、苦手なんだよなー」と思った方、「透視図法は一応マスターしている」と思った方、がっかりする必要もありませんし、それで十分だとも思えません。

遠近法はどうしてできたんでしょう?―遠近感、距離感を表現したかったからですよね。でも、なぜそんなものを表現したいんでしょうね?―それは、好きなものと嫌いなものを区別、表現するためだ、とわたしは思うんです。

「ママが大好き」な子どもは、お母さんを(お父さんより)大きく描きます。それが正直な距離感だから。大好きなママに、子どもはいつもくっついています。間近で見るママは時には自分を覆い隠すほど大きな「物体」です。お父さんも優しいけど、ママと同じというわけにはいきません。なので少し離れ、少し小さく見えています。剃り残しの髭が見えるくらいの距離感でね。
 子どもの絵を見ると、距離感の違いは明解に表現されています。これが「遠近法」の本質だ、とわたしはだんだん考えるようになってきました。

わたしがあなたを好きか、嫌いか。この味が好きか嫌いか。この服が着たいか着たくないか。それは視点の裏返しでもあります。子どもから見て、大人が自分を好きか嫌いかは、子どもの生存に関わる大問題。ヒトは生まれた時からそうやって、自分以外のヒトやモノとの距離を測り、自分だけのメジャーを作ってきたんですよね。それが遠近法の原点。
 ヒトやモノとの距離感はそんなふうに一人一人固有のものとして積み重ねられていきます。でもそれだけじゃあ話が具体的に伝わらないから共通のツールが必要だろうね、って生み出されたのが、たとえばメートル法などの距離の単位だったり、ちょっと跳んで「透視図法」、なのではないか、とわたしは想像します。
 あなたの心の中に、あなた自身の「遠近法」があるのをわたしは知っています。それを、見せてくださいね。

アイドリング

教室でのスケッチ

久しぶりに生花のスケッチをした。ほとんど何も考えず、ただ無心に(実際は少しは考えるのだが)目の前の色や形を写し取る作業は、疲れた頭を休めるにはいい時間。

遠くをあてもなく見るのが目の健康には一番いいと、何度か眼科医から聞いたことがある。眼をつぶるのではなく、遠くを見る。完全休止状態にするのではなく、いわばアイドリング状態で休む。