作家と会社

栗と葡萄の水滴

今日は上野、乃木坂と、4つの大きな展覧会を駆け足で廻ってきた(疲れた)。東京都美術館の一水会、国立新美術館の行動展、新制作展、それと企画展の田名網敬一展。今日は田名網敬一展を紹介するはずだったが、会場での写真はちゃんと撮れているものの、なぜか転送ができないのが残念(たぶんiPhoneとmicrosoft との相性の悪さが復活)。

田名網氏は画家であり、アートプロデューサーであり、・・であり・・でありの、マルチな美術家である。アート系の雑誌や、おしゃれな広告、雑誌などメディアでの活躍が凄まじいので、うんと若い人は知らないかも知れないが、多くの人は「ああ、あれを描いた人か」と一度は眼にしたことがあるほどの人。

一人の人間がやれる仕事には限りがある。その「限り」を軽々と越えていくのが天才だとするならば、彼は間違いなく天才である。ピカソと同類の。実際にピカソが大好きらしく、ピカソ風の(と言ったら怒られるに決まっているが)絵を、これでもかというほどたくさん描いている。模倣だとか言われるのを気にしないというより、ピカソ愛のあまり、ピカソになり切って、ピカソより多くピカソ風の絵を描いてやる、という勢いなのである。しかも、それは彼にとっては趣味の一部。

現代において社会で大きな仕事をするには「会社」が不可欠である。彼の仕事のほとんどは、会社という組織との共同作業である。会社というものが彼の力を存分に引き出す力を与えている。経済だけでなく、会社(組織)というものが社会の中で持つ力をまざまざと見せられた。個人の力など、それが原点であるにしても、社会に対するインパクトなど知れたもの。
 一水会、行動展、新制作展など、どこにも有為の才能の持ち主がいて、アイデアや技を競い、それなりの存在感を示してはいるのだが、それが束になっても残念ながら会社には勝てないのである。だから無用だ、というわけでは全然ないのだが。

中秋の名月

雲から抜け出る直前。雲も美しい
雲から抜け出た月が輝いている。夕方7時頃

9月17日は中秋の名月。街中では周囲が明るすぎるので、刈り取り後の田んぼが広がるところまで写真を撮りに行った。はじめは出ていた月に雲がかかり始め、待つことしばし。いい写真が採れた。スマートフォンで露出3秒。自転車のサドルに固定して撮った。

風も弱く、ほんの少し涼しくなって穏やかな夕方だった。絵に描きたいような月でした。この月を見逃した方、ぜひごゆっくりご覧ください。

松本邦夫個展に行く

個展会場はゆったりしている
松本さん独特の女性像です

今日は中秋の名月。良い月でした。満月を見上げながら、昨日、松本邦夫さんの個展に行って良かった~と思いました。同じギャラリーの別会場で同時個展をされていた吉岡正人氏ともゆっくりお話しできたし、なにより松本さんの絵が素晴らしく良かったので、つい長居をしてしまいました。

国立(くにたち)市にある、「コートギャラリー国立」9月12日~24日まで。国立駅南口を出てすぐの道を右側(立川方向)に行くと2,3分です。見たい方はぜひ早めにご覧ください。松本、吉岡両氏はともに公募団体二紀会の委員。実はわたしも昔はこの会に所属しており、お二人には大変お世話になりました。

でも、作品は常にそういう関係と関わりなく拝見しています。松本さんの作品はモチーフや題材の変化はそれほどないのですが、ここ数年で、なぜかぐっと魅力が増してきた、とわたしには感じられます。何が変わったんだろうと考えると、テーマとその扱い方がシンプルになったのかな、と思っています。
 画家というのは誰でも、こういうものを描きたい、これだけは描きたいという強いこだわりを持っているものです。それは絵を描き続ける原動力なのですが、絵画=視覚芸術という点で見ると、そのこだわりが視覚性(視認性?)を阻害することも、往々にしてあるのです。そのこだわりを、視覚のセオリーにうまく乗せる方法が作家のスタイルということであり、それが創れなければ作家としては苦しい制作をつづけることになります。

松本さんはあまり苦しいそぶりも見せず、そのジレンマを乗り越えたのだなあと思います。ですが、それは決して楽な道だったという意味ではありません。彼は非常にまじめにそのことに取り組んでこられ、そして3,40年かかって、ついに乗り越えられたと、わたしは感じます。長い長い苦労の日々があったのです。いつも万年青年のようにすました顔で、そして常に人を気遣いながら、人に頼らず自分を曲げず、とうとう自分の世界を確立したのだと思います。すごい人だなあと、改めて思いました。
 今日の中秋の名月は見事な月でした。彼の個展を寿いでいるように見えました。