レベルの違い

「夕焼け」 ただいま編集中

気力を取り戻して、ただいま「夕焼け」を編集中。しばらくビデオを作る気持ちがうすくなっていました。そのあいだも、他のチャンネルのビデオは毎日たくさん見ていました。

よくおススメに乗ってくるだけあって、さすがにどれもレベルが高い。ビデオの内容がいい。興味を惹き、かつ有益?。映像がきれいで、テンポもいい。つまり企画も撮影も編集も上手。さらに語り手本人も魅力的。これは美男、美女という意味ではなく、深く考えているんだなーとか、勉強しているんだなーとかというところに共感、または憧れを感じさせる人柄、というのに近いかな。

つまり、三拍子も四拍子も揃っているということ。そういうのを見ていると、だんだん自分のビデオが貧弱に見えてきて、ますます作る気力が、失われてくるんです。
 でも、がっかりしても何も始まらないのも確か。勉強だって、スポーツだって初めの一歩もあれば途中のスランプもある。頑張ってもゴールに届かない人も居る。年齢のハンディは確かにあるけど、それはもう考えるだけ無駄。今やれることは何かを考えるしかない。

気分一新。ビデオのゴールは彼らの撮影、編集レベルに達すること。目標ははっきりしているから、やればできるようになるはず。でも、大事なことはビデオのことじゃない。ビデオは一つの面。その奥にある自分自身をどうやって深く、広く、大きくしていけばいいんだろうということ。
 四五日前から急に耳の聞こえが悪くなって耳鼻科に診てもらった。わたしの癖で、つい耳の奥まで押し込んでしまった耳垢で詰まってしまっていた。そうやって、自分を悪い方に押し込んでいる「習慣」。それをひとつでも良い習慣に替えていくこと。そのための考え。

キーボードを替える

2つのキーボード

キーボードが壊れてまる2ヶ月。新しいキーボードを見つけるまでのあいだ、息子の空いているAnkerのキーボードを使って用事を済ましていたが、英字配列だったため時々入力に戸惑った。

新しいキーボードはキー配列は当然、疲れにくさとか机の上でのサイズ、キーを叩くときの音、キーの沈む深さ等々検討したけれど、探せば探すほど見つからない。結局、振出しに戻って「まあ、使えれば何でもいいや」ということにしてしまった。

IT化が進み、AI化がさらに浸透すれば、人は仕事から解放されて自由な時間を持てるようになり、より自分らしく生きられるようになる―開発者というものは常にそう言うのだけれど、それが一種の「まやかし」であることは、歴史がいくらでも証明してくれている。

パソコンが発明されなければわたしの腱鞘炎も起こらなかったかもしれない。というとすぐ「反進歩主義者」と烙印を押されそうだ。けれど、開発とニーズの関係は多くの場合、開発者によってニーズが作り出されるもの。言葉を換えて言えば「欲しいとも思っていなかったものを、ずっと欲しかったように思わせる」こと。

水彩画のリカバリー

「水辺1」
「水辺2(終了)」  水彩

滲みやグラデーションはもっとも水彩らしい表現の一つ。滲みもグラデーションもコントロールの難しいテクニックですが、これを避けては通れません。頑張って乗り越えていきましょう。

でも、失敗した時、ちょっとしたリカバリーの仕方を知っておくと、気持ちがだいぶ楽になることは確かです。水辺1はべつに失敗したわけではありませんが、シンプル過ぎて、何かひとつ物足りない感じがしませんか。

かといって、モノを加えたり、画面を洗うように上に新たな色を重ねたりするのは、絵の狙いそのものが変質したりなど、それなりのリスクがあります。水彩は大胆な破壊が大ジャンプを呼びやすい画材ですが、毎回大胆な破壊ということは無計画そのものということでもあり、それ自体心理的に負担かも知れません。
 水辺2は、そこに小さなアクセントを持ち込みました。白はガッシュでもいいのですが、アクリルのライト・モデリングペーストとチタニュウムホワイトの混合がお勧めです。ペインティングナイフを使い、エッジはマスキングテープです。
 ガラスを一枚置いて見ているような感じがしませんか?白によって暗い色も輝きと透明感が増したように、自分では感じますがどうでしょう。

小さく、静かなリカバリーに見えますが、テクスチャーを変え、見え方の視点を変えるなど、考え方としては案外大胆なんですよ。でもかたちが小さいのと、縦横だけに限定してで動きを抑え、色も白だけなので(上にかすかに水彩を加えた」)おとなしく見えているのです。一つのリカバリー法として使えるんじゃないでしょうか。