世界は「お金」以外の価値を見出せない?

2023.11.07 東京・日本橋にて

今朝はかなりの雨だった。今日は3つの展覧会を回る予定で、しかも今日しか行ける日がない。10時頃には上がる予報だったので家を出たが、まだぽつぽつ残り雨が落ちていた。駅のホームで電車を待っていたら、また音を立てて降ってきた。

日中の東京は暑かった。日比谷線上野駅から東京都美術館までの間を歩く間でさえ、けっこう汗をかいた。それもあってか、都美術館までの距離をこれまでよりずっと長く感じた。脚力が弱っているんだろうか。3か所を回ろうと気持ちが急いでいたせいか、息がなんとなく苦しいのも気になった。埋め込んである心臓ペースメーカーの対応機能より、歩きのペースが早すぎたのかも。

たまに東京に出ると、東京は目まぐるしく変貌していることを感じる。東京といっても郊外ではそれほど急速には変わらないだろうけれど、地価の高い場所では、より利益率の高い用地にすべく、土地の所有者は脳の血流を最大限にして、金銭的にベストな借り手を探しまくっているに違いない。人間なら脳内血圧の高まりすぎをセーブするかもしれないが、今どきそんな危険を冒してまで手作業している個人、法人などないだろう。AIにはそもそも血が通っていないから、数秒で “その時点での経営常識” としての 「最適解」をたたき出してくれる、と考え、AIに答えを求めているはずだ。

けれど、“常識” なんて、当てになるものじゃない。人間の「常識」は個人個人によって違うものだし、AIが得意なのは『「確率」的に導いた答えを瞬時に引き出せる』ことであって、個々のケースに最適にマッチするという意味では、全然ない。
 要するに、(現段階では)人間が判断放棄、丸投げした部分を、AIが「仮に」判断して見せるのであって、貸し手、借り手ともに判断に自信がなければ、100%AIにお任せするしかない、ということだ。むろん人間の「自信」も危ういものだということはご承知の通りであるが。現代は、そういう綱渡り状態で物事が進んでいるが、一歩間違えば、この建設中のビルだって、廃棄ということがいくらでもあり得るのだ。そういう例は、ここ数年でたくさん見ているはずだが、なぜか目の前に「金がちらつくと」盲目になってしまうという、哀れなDNAを受けついてしまっているようだ。

明るい高慢さ

「Apple-丘の眺め」テンペラ  2004年

ポジティブ思考(嗜好かも)が、多くの人の深いところに沈潜して、ことあるごとに顔を出しては人を痛めつけることがある。わたし自身の中にもすっかり入り込んでいて、何か落ち込むようなことがあると、つい、「元気出さなきゃ」なんて無理してしまう。

いつもいつも明るく朗らかで、何にでも前向き、落ち込むこともなく、周りまで明るくする人。そんな、太陽みたいな人がかつてのテレビや漫画の主人公だったけれど、さすがに現代では、そんな間抜けた人間は主人公にはなれなくなった。

子どもは大きな夢を持たなくちゃダメだ。若い人は高い理想を持って世界に羽ばたかなくちゃいけない。ショボショボして、ちっぽけな自己満足などしているようじゃ(男の)クズだなんて堂々と人前で言う、恐ろしい時代があったけれど、そういう時代はもう過去のものになったんだろうか。そんなの余計なお世話だよ、って言える時代になっているんだろうか。そんなことはない。だってわたし自身がそう思っていた時があったし、今も心のどこかにそんな気持ちが残っているのが分かる。

子どもの頃、テレビを見るたびに「どうしてアメリカ(の白)人たちはあんなに明るいんだろう」と不思議だった。わたしの周りには誰もそんな人は居なかったが、テレビの中では大人も子供も皆活力に満ち、自由そうで、そしてやたらに誰にでもキスをしていたのだった(そういえば黒人たちのキスシーンは見た記憶がない)。
 あの電灯のような明るさと、民主主義はどこかで繋がっている、そんな気がしていたが、そうではなかった。あのポジティブな明るさは高慢さそのものでもあったのだ。ウクライナ戦争とイスラエル戦争のアメリカの立ち位置がそれを示している。
 負けないように強くなればいいのよ、ケチケチしてないで金持ちになればいいのよ、金持ちになれないのは努力が足りないからよ。そう言って、影と日なたを二分してきた人々の国、あの明るさに憧れてきたんだなあと、今さらに思うよ。

次の動画、頑張ろう

奇数日にブログを書くと年初に決めてから、うっかりミスは数回あっても、まあまあ9月中まではそのポリシーを維持できていたのに、10月中盤から、それがガタガタに崩れてしまいました。10月のグループ展への出品作は8月中に終えていたので、制作で忙しかったからでもありません。腰痛は大きめのマイナス要因ですが、感覚的には必ずしもそれのせいとも感じていません。

一見、「常識」とは矛盾するようですが、体調が悪かったり、忙しくて集中できないような状況の時に、かえって「いい仕事」ができたりするようなことがあります。腰痛もずいぶん良くなり、出かける用事も少なくなってきたので、ぽっかりその逆バージョンに陥ってしまったのかも知れません。

先日のスケッチ会での動画を編集中です。これまでの動画は、内容はともかく自分で見ていても楽しくない。まるで、先生が教科書を棒読みするようなひどい授業(今はそんな授業などあり得ないでしょう)のようです。もっと面白く、寝そべってスナックでもつまみながら、笑って見てもらえるような動画を作りたいとは思っているのですが、勉強すべきところが間違っていたり、そんな目標とは程遠い有様です。
 グループ展を抜けたのも、実はそのための時間をもっと取ろうと思ったからでもあります。動画をもっと頑張ろうということですね。