秋めく

「ポピーの咲く橋」 水彩 F4

台風13号の弱まった熱帯低気圧が関東を通過した金曜日は、青いカモメ絵画教室の夏休み明け初日でしたが、台風情報に煽られて、教室を中止にしました。翌日(9月9日)は、台風一過とはならず、低気圧らしいぐずつきがまだ残ったまま。翌9月10日(日)もやや曇りがちでしたが、とりあえずの晴れ。そのぶん気温は高く、真夏日が戻ってきた(実は9日も真夏日ではあったが)。

今日9/11(月)から実質的な教室再開。暑さでほぼ描けなかった人、晴天(炎天!)に恵まれ、あちこち遊びまわり過ぎて描けなかった人など様々でしたが、感心にも新しい画面を描いてきた人がいたのは、ちょっと嬉しい“予想外” 。皆の刺激になったかもしれません。午後からの教室が終わる頃には、天気も秋晴のようなすっきりした空に変わってきました。まだ暑いことは暑いけれど、暑さの芯が無くなってきて、空気の透明度も増してきたように見えました。
 そういえば、ウオーキングをすると、半分以上の田んぼではもう稲刈りが終わっています。今年は7、8月の全国の平均気温がこれまでの最高を大幅に更新(気象庁)したこともあり、稲刈りの時期を早めたのだと思われます(各県農業技術研究センターの公報などを見ると、高温の時は「刈り遅れ」が「割れ」などの品質低下になると注意を喚起していました)。

「秋めく」は俳句の季語としてもよく知られています。歳時記では、「目にも耳にもはっきりと秋のたたずまいを感じるようになる」とあります。空気が澄んで、遠くの山が少し近くに見えるようになる、遠くの音がよく聞こえるようになる」のですが、「人生の秋」はすべてのものが「目からも耳からも」遠ざかるようになっていきます。つまり、気象と生理とでプラスマイナスゼロってことでしょうかね。九月も平均最高気温を更新するかも知れません。

ときどき、詩人

キャンバスからCGスケッチ

ときどき詩人になるのがいい、と思う。世の中動くのが、少しどころでなく早すぎる。自分の周りを、壊れた走馬灯のようにグルグル早回しで回っている感じがしてならない。眼を閉じるか、あるいは目の前の小さなものだけをぼんやり眺める、そんな時間が必要ではないかと思う。いや、そうしないと、実は自分が死んでしまっていることにさえ気づかないまま死んでいるかも知れません。

「時々詩人になるのがいい」というのは、もちろん、詩人がのんびりして暇そうだという意味ではありません。単にのんびりリラックスすればいい、というわけでもありません。「詩人」はもちろん比喩ですが、画家でも音楽家でも、運動家(スポーツ)でも、何でもいいというわけではありません。やはり「詩人」がいいのです。

詩人は自分の感覚や周囲のことがらを言葉に置き換えていきます。”言葉に置き換える” ということが重要です。わたしたちは言葉で自分の考えをまとめあげているからです(そういう意味では数学者(科学者)でもいいかも知れませんが、わたし自身が想像できる範囲を超えています)。

あくまで比喩ですから、実際に詩を書く必要はないのですが、ほぼ詩を書くような気持にならなくてはなりません。それが難しいのは確かですが、それが出来なければ「走馬灯ぐるぐる」をずっと見ているしかありません。「詩人」は唯一そこからの脱出口なのですから。
 でも、なぜ詩人?とあらためていうと、なぜ脱出するのか、その結果どういう意味があるのか(あったのか)、詩と走馬灯の関係などを、言葉にして記憶しておく必要性、詩を作らなければならないからです・・分かったような解らないような。疲れていますね。

ビデオ作りの意義?

2023.09.07 17:30 アップしました。ご覧ください

しばらく、テンペラ画の制作に時間をかけていたことや、その他の理由でYouTubeへの投稿が10日ぶりになってしまいました。ふだん、教室でやっていることをビデオにしているだけですが、教室ではどうしても細切れになってしまいがちです。ビデオにすると、教室での内容とつながってくるように感じます。

ビデオを作ることで、自分でもあらためて気づくことが少なくありません。たとえばナレーションをいれるとき、専門的な単語や、こなれていない言い回し、間違ってはいなくても聞き取りにくい言葉などは、言いかえたり、説明を添えたりする必要が出てきます。ふだんの会話だけだと、気づかずに通り過ぎてしまいそうなことです。

映像ももちろん同じです。自分ができることは、つい簡単に感じてしまうので、ビデオでもサラッと流してしまいがちです。視聴者の方がそれを見て真似しようとすると、なぜこうなるの?これは何のためやっているの?という場面がたぶんザクザク出てきます。そんな疑問だらけのビデオでは見てもらえません。必要な手順と内容を、無駄なくきちんと押さえながら、しかもダラダラした繰り返しを避け、飽きないうちに見終える工夫もしなくてはなりません。そういったことを体験し、実際の教室の時に活かしたいと思っています。

たいていビデオ内では1枚の絵を描きますが、説明手順が曖昧な時は2~3枚描いてみることがあります。そうすると、ポイントが解ってきて説明しやすくなります。ただ、視聴者は絵を描いている人とは限りません。むしろ描いている人の方が少ない、と考えて作らなければならないようなのです。
 説明不足もいけませんが、説明しすぎるのも良くないのです。一番いいのは、「自分もやってみたい」と思えるような「楽しい動画」です。描くのが楽しければ、絵など勝手に上達していくものですから。でもそれが難しい。現状ではビデオ作るだけで必死、楽しい要素を盛り込む余裕などまったくなし。もともと融通の利かない頭の固さが原因であるにしても、もうちょっとなんとかならないものか・・と毎回思うばかりです。