冷蔵庫大作戦−2

冷蔵庫チェック表(空欄をできるだけ埋めていく)

それから電機店めぐり、パンフレット集め。とりあえず行き当たりばったりに電機店に行く。早く決めてもらいたい店員からじっくり話を聞く。「考えていた額と全然。買えるものないわー」「どうぞ、気を取り直してご検討ください」。もらったパンフレットを扇のように広げ、夜検討する。家族全員に共通する必要条件はゼロ。要するに決められない。

とりあえず大蔵大臣としては「安い方がいい」。文部科学大臣からは「機能優先」。首相不在の内閣。「安く」「買わないのが一番安いよ」「クーラーボックス生活。被災者の生活を見習え」、「アイスが取り出しやすい機能」などそれぞれいい加減なことを言う。メモを取り、電機店回りだけで数日、数時間ずつ。それが実に疲れるが、貧乏人の買い方としては仕方ない。他のお客は後から来て、せいぜい30分も検討すると結論が出て購入して帰る。実に羨ましい。「この時期ですから、どんどん無くなりますよ」と店員に脅されても、やはり決められずくたびれて帰る。

電機量販店というのは値段横並び。かといって価格協定は法律違反。だから、その店より低い価格で売る店があると、しぶしぶでもその値段に合わせ、自店で売るようにする。「さらにお安くします」「ご相談ください」というのはそういう意味だ。だから、メーカーと機種の候補を絞ったら、あとはどこがいくらで売っているかをチェックし、「ご相談」の手元資料を手に入れなければならない。交渉材料がなければ言いなりに従うしかないからだ。

ネットで検索した資料をもとに、どの店で買うかを検討し(どの店で買うかも案外重要な気がする)、いざ店頭へ。でも必ず買うと決めているわけではない。横並びに対応してくれないかもしれないし、別な条件が出てくるかもしれない。こちらは資料をひっ抱えていくが、実際には店員の方はすでにそんなものは知っている。彼らは百戦錬磨のプロなのである。そこからの交渉をベテラン店員は楽しんでいるかのようにさえ感じられた。値段はこれくらい、下げるのが無理ならポイントで修正、保証内容の再検討などは、生徒の「勉強」への先生からのご褒美のような気さえした。

「安く買えたか?」実際は考えていた額より多く出費した。プロの術中に嵌ったかのようだが、ネット最安値で、初めはつけないと言われたポイントを10%つけ、保証も納得したうえで購入できたのは、結局お店側にとってもよかったのではないか。そのあとの手続きも気持ちよくやってくれ、配送も最短日より5日も早かった!

冷蔵庫を台所に設置する経路を作るための、室内の片付けが大変だった。想定はしていたが、丸一日。経路がきちんと確保できていたお陰で、冷蔵庫の到着から、古い冷蔵庫の引き取り、新しいものの設置、納品のサインまでせいぜい15分。二人の若い搬送業者は、今日も納入がびっしりで、夜まで時間との勝負だと言っていた。片づけの苦労が幾らかは彼らに時間の余裕を与えたかもしれない。

冷蔵庫大作戦–1

冷蔵庫に何が入っているか、見えるようになったぞ

新しい冷蔵庫を買った。10月からの消費増税に合わせたわけではない。そんな余裕など全くなく、できれば買わずに済ませたいところだが、壊れてしまったのでやむを得なかった。

半年ほど前(もっと前かも)、「冷蔵庫から水が漏る」と言う。拭いてもしばらくするとまた出てくるという。溜まるほどでもないが、じわじわと濡れてくる。排水経路?が(ホコリで)詰まっているのだろうか。我が家の誇り高き冷蔵庫は、現実のホコリうず高いそれでもあるから。でも、洗濯機ならともかく「排水路?」

結局そのまま、時々床を拭く程度でごまかすことに(結果として)なった。1ヶ月くらい前になると「冷えなくなってきた」という。冷却装置など根幹に関わる部分は、「メイド・イン・ジャパン」ならそう簡単に壊れるはずはない。ゴム・パッキンが劣化し、そこから冷気が漏れ出している。交換は可能かもしれないと製造時期を見ると2000年製。製造翌年の型落ち品を安く買ったろうから18年使ったことになる。保証期間はともかく、ぴったりのゴム・パッキンが手に入るかも微妙(最近のものは自分でも簡単に交換できるようになっているらしい)。電気代もだいぶかかっているし、容量も不足気味だから、少し大型の冷蔵庫に買い換えようかということになった。

我が家には「予算」というものがない。我が家の大蔵大臣(財務大臣といっても同じだが)には決算しか頭にない。いつもその時になって突然「お金がないんだけど」というだけ。普通は大型の出費に対しては数年前から積み立てておくものらしいが、我が家では全員が突然「お金がないんだけど」。そして、だからどうする、というアイデアは誰からも出ない。冷蔵庫の場合も同じだった。

病気と違い、放っておけば自然に治るということはない。が、もしかするとこのうず高いホコリで隙間が埋まるのではないか、床の水もこのホコリが吸ってちょうどよくなるんじゃないか…とでもいうように、やはり放っておいた。そして当然のように尻に火がついた。

渋谷

ミュシャ展会場入り口

久しぶり(本当に久しぶり)に渋谷に行った。Bunnkamuraへ話題の「ミュシャ展」を観に。その前に川越のギャラリー・ユニコンで「佐々亮暎展」を観たので、ついでにと東武東上線、地下鉄有楽町線、メトロ副都心線と乗り継いで渋谷へ。普段は利用しない路線なのでナビがないと迷ってしまいそうな、ほとんど聞いたこともない駅ばかり。

地下鉄から渋谷の「地上」へはどこの国のどの駅かと思うほどに(私には)目新しかった。日本人かなと思えば中国語か韓国語(日韓関係の悪化からか、韓国語は激減した感じがする)、中東系、アフリカ系、ヨーロッパ系の人たちが(住んでる風に)普通にいる。大河のようなものすごい人の流れと、人口光の乱反射。ハチ公前に出る。地上に出ればまあ、それほど異国感はなかったが。

ミュシャ展は多分どこかのTVで宣伝しているのだろう、とても混んでいた。若い人が多かったように思う。混み具合も内容も予想通り。何度も観たことのある絵柄だし、デッサンのうまさもわかっているし、亜流に興味はないし、漫画へのこじつけも予想通り。初めて観る人にはこの混み具合は少しかわいそう。油彩によるエスキース(アイデア・スケッチ)4点だけ近づいて観た。

急いで渋谷駅に戻り、「地上3階の地下鉄」銀座線へと登る。ここへの狭い階段は少なくとももう50年近く古いまま。地下通路との時代ギャップがすごい。この共存感が半端じゃないのが大都会なのかな。表参道で千代田線に、乃木坂。国立新美術館は黄昏時で空いていた。新制作展、行動展両会場内をぐるぐる巡る。良い作品もあるがつまらないものもどっさり。そんなものだろうが、観ることがすべての始まりだ。

ひさしぶりに歩き回ったので、駅での下り階段では左膝の腱が注意信号。無理すれば本当の膝を痛める。限界だ。帰宅したら、訃報が待っていた。