発表能力について

日本、アメリカ、フランスの子どもの思考法と、それをかたちづくる国語教育に関する、専門家の面白い小論を読んだ。国際的な学力テストで、特に自分の考えを述べる記述的な分野で日本の子どもたちの順位が落ちている原因かなと、興味を持って読んだ。

それによると、日、米、仏の小学校での国語教育の目標と方法論に大きな違いがあるという。そしてその思考法が大学にまで繋がり、少なくとも国際的な発表とか、その評価において大きなハンディとなっているというのである。

例えば、私たちは①自分用の日記の書き方②親しい人への手紙の書き方③公的な手紙の書き方④エッセイ⑤課題レポート⑥発表文⑦記録文⑧詩⑨小説⑩論文…などと形式を書き分けられるだろうか?「見たこと、感じたことを『正直に』書く」しか教わってこなかったのではないだろうか?アメリカでは小学校低学年でも14もの文章形式(中、高では18)をそれぞれ「訓練」するという。フランスでは、語彙、動詞の活用など、文法の理解を徹底するという。それが彼らの常識らしい。

能力的な問題ではなく、方法論の問題だ。「自在に文章を操り、自分の主張をきちんと相手に伝える」には実際にはどうすればいいのか。日本では子どものときこそ自由に、欧米では幼少時こそ基礎を最優先、という方法論の違いは、国語教育に留まらず、大人になってからの思考法にまで繋がっていると読めた。