自由研究って…

△と◻︎ 習作

自由研究は夏恒例の子どもいじめ(言い過ぎだが)イベントだが、その是非は別に置くとして、最近は親が手伝うどころか、地域ぐるみ、近隣の大学、国の科学研究施設、観光地まで「自由研究に役立てて欲しい」と、それぞれ別の目的を隠しながらアピール合戦の様相だ。

いわば国ぐるみと言っていいほどの、この「自由研究」とは何なのだろうか。子どもを全員将来の研究者にしようとでもいうのだろうか。それにしてはやがて進学する大学の方がどうにもうすら寒い。日本を代表する東大などでは研究不正があとをたたず、世界の中での信頼性も急激に落下しているようだ。

優れた研究者が出てこそ、子どもたちも憧れる。終戦関連の記事、ドキュメンタリーでマスコミも賑やかだったが、そこで印象鮮やかだったのは、イケイケどんどんで戦争への意識を煽り、その行き着く先の軍や政治に関わる人々に、目的も手段も十分に思考を巡らせた跡がないことだった。目先の技術、工夫には優れたものがあっても、なぜ?を先へ先へと問い詰めていく、科学的思考が不思議なほど感じられないことだった。

すべての子どもが自由研究をするって、一種異様な感じだ。戦前の軍国少年育成と、ぴったり重なって、恐ろしげだ。

 

腰痛は自分で治す

そんなことができるくらいなら誰も好き好んで整形外科など行くもんか、と私も思う。でもアメリカのある医学会?だかでは鎮静剤の議論を通じて、どうも、そういう結論に達したらしい。

そこでは ①鎮静剤は一時的なもので、根本的な治療ではない ②(鎮静剤の施用目的の一つである)腰痛の原因は複雑で、MRIやレントゲンで悪い箇所があっても、簡単にはそれが痛みの原因だとは言えない。そこから、腰痛治療の基本は①保存治療:簡単に手術で骨を取ったりしない ②鎮静剤は他の影響があるのでやめる ③どうやれば痛い(痛くない)か、自分で試しながら、(医師任せの受け身ではなく)自分で方法を探していく、ということらしい。

ある意味、なるほどと思う。医師だけでなくリハビリやトレーナーなどの意見を聞きながら、「自分自身で積極的に治すしかない」という(医師の諦めともとれる)考えがシンプルで新鮮。確かに自然界の動物は医者には行かず、自分で治す(或いはそのまま死ぬ)。でも、できるかな?