水彩の面白さ

カサブランカ(部分)  f8 watarcolor 2011/6/12

 水彩絵の具に初めて触れた小学校5年生の時以来、45年以上も経ってしまった。初心者の最初の嘆き、「下書きは上手く描けても、色になるとグチャグチャ」を私も味わった。

今ならなぜそんなに苦しんだか、良く解る。同じ嘆きを今も味わっている諸君。実は簡単なことで克服できるのだよ。それは「良い紙を使う」こと。厚手の高価な(これは我慢するしかない)紙を使うだけで、あれあれっと思うほどうまくいく。お試しあれ。

水彩からしばらく離れたこともあったが、それなりに忘れず付き合ってきた。ちょっと「扱いにくい」友人のようなものだったが、最近になってやっと「俺の気持ちが判ってくれる奴」になってきた。経験は友、だ。そうなると、だんだん鉛筆での下書きが面倒になってきた。気持ちの通じる相手なら遠慮など抜きにして、話したいことをいきなり話せばいいじゃないか、てな感じ。水彩絵の具だけで直接描いた方がスッキリしてきれいだし、鉛筆より筆の方が幅も広くてラクだ。偶然のスリルもたっぷり味わえる。

とはいえ、鉛筆やペンの上に水彩を乗せるのは、また格別。けれど鉛筆、ペンで描いても、下描きという意識はあまり無い。色で表現出来ないところは線で、あるいは線があることで、より色が自由になり、多様なコンビネーションが生まれるという意識に変わってきた。この感覚は、油絵の具のような重厚な画材ではなかなか得難い。コントロールしきれない、「色になるとグチャグチャ」が水彩本来の面白さだと思う。   2011/6/13

それにつけても

Astronaut (part) f4 Mixed-medium 2011

昨日AKB48の総選挙結果が発表された、そうです。ネットでは何度か目にしたが、全部で何人いるのかさえ分からないし、個人名も曲名も全く知りません。2軍も3軍もあるらしいから、すごい数のメンバー?なんだなあと思うくらい。あるテレビでは「社会現象」と呼んでいたから、もしそうだとすると、私は社会現象に興味を持たない、世捨て人ということになりそうです。

スペイン・カタルーニャで村上春樹氏が文学賞を受賞し、そのスピーチに原発問題を取り上げ、脱原発と「効率偏重」主義からの脱却の2点を強調したと、少し話題になっている。その前にイスラエルで同様の賞を受け、そこでのスピーチも話題になった。今回のスピーチ全文を読んだが、別にどうというほどのものでもない。でもそれが話題にされること自体、さすがノーベル賞候補№1ということですね。私には、サイン会で女性読者が次々とキスを求めるのでえらく時間がかかったという話の方が、いかにもスペインという感じがして面白かった。

それにつけても日本の政治家って、どうしてここまでピントが外れているのか不思議でならない。震災対応をしていないわけではないし、事故の収束に向けて努力していないわけでもない、予算は必要だから成立を急ぐのは間違ってはいないのだが、的を射ているとはとても思えない。お腹が空いているのに食堂のサンプルの前で料理のうんちくを自慢しあっている感じ?しかも実際に食べたことのある人が実は誰もいないとか・・。そのうえ後ろに並んで怒っている人たちのことなど全然見えず。要するに困った人たちだ。被災地でも変な地元優先意識や、縄張り意識が芽生え始めているとも聞く。枝葉に捉われない、子どものような真っすぐの目を彼ら政治的白内障患者に移植してやりたいという感じです。    2011/6/11

絵を描く理由

White rose (part) f8 watorcolor 2011/6/8

3月11日以来、ほぼ1ヵ月ごとに大きなショックに襲われ続けています。大津波の被災者に較べたら・・と思ってはみるものの、続けさまに起こる衝撃は私自身にとってはこれまで経験したことのないほど厳しいものばかり。

いろいろ対応策を考えてみるものの、今のところ焦りと苛立ちの中で、なす術もなく日を送っています。時間がなにか解決してくれるわけではありませんが、何も手に付かないというところです。

大震災の衝撃はとても絵など描く気持ちにさせてくれなかった。今は自分自身が精神的に安定するためにも描かなければいけないと思うものの、頭も体もやっとついていくという感じです。

でも、描けばたとえ一時的にでもほっとするのは確か。頭が動き始め、体もほぐれてくるのを感じます。私にとって絵は自分自身より有り難いような気がします。何とか描き続けて、絵に捧げられるような絵を描きたいものだと思っています。   2011/6/8