明日から「春」 春を待つ (CG) 今日は節分。例年なら2月3日なので、うっかりすると春を1日失ってしまう人がいるかもしれない。節分の翌日が「立春」で、暦の上では春になる。「二月」は一番寒い月とも云われるが、俳句の季語ではそういうわけで「春」に入るのだそうだ。 今日もパソコンでCGの練習。昨日覚えたことを、今日は完ぺきに忘れてしまう。自分の頭どうしちゃったんだろうと不安になるほど記憶力がなくなっている。練習で作った画像はパソコン上に残っているからやったことはわかるが、どうやってそれを描いたのか、描いた記憶自体がないこともある。ちょっと怖いです。 上の絵は「レイヤーマスク」という、基本中の基本のツールを使って描いた。10年も前から知っているのに、使えないまま今日まで来てしまった。まだぎこちないが、やっと半分理解できたような気がする。49点?まだまだまだ。 コロナ感染拡大による緊急事態はどうやら延長されそうだ。こちらは一層厳しい「冬」が続く。まったく気が滅入る。絵でも描かずにはいられない。
コロナを通して自分を見る Non-titled (CG) 先日までと違うソフトで描いてみた。イラスト系のソフトにはたいてい「チュートリアル」という手引きのvideoがついていて、それを見てからやるのだが、手引き通りにスムーズにいったことはただの1回もない。最初の最初からつっかえて、そんなはずは、と何度もビデオを見直して、それでもなぜか手引きのようにはいかないのが「普通」。のたうち回ったあげく、ようやく分かった気になっても、最初の最初にたどり着くまでにそこからさらに数時間もかかったりする。手引きではたったの1秒で通過しているのに。以前のわたしなら怒り狂ってパソコンを破壊しかねなかった。今もかなりイラつきながら、そういうイデオムなのだと思うようになってきた。 ソフト開発者の多くは画家やイラストレーターではない(らしい)。チュートリアルで「やり方を実演する」デザイナーも、(説明時間がかぎられているから)それぞれ自分のレベルで早口で説明するのだから、初心者は戸惑って当然。そのことがが分かっただけで、だいぶパソコンの傷が減り、わたしの血圧も安定してきた。 新しいことを覚えるには膨大な時間と労力が必要だ。パソコンの知識・理解力から考えると、わたしには普通の人の3倍以上の根気が要るようだ。コロナ禍の今、たまたまその時間が与えられたのだと思っている。 多くの人がそうであるように、コロナによって私の生活も大きな影響を受けている。つらい影響の一方で、わたしは数年前と人が変わったように歩くようになり、歩きながらラジオでいろんな知識を得るようにもなった。偶然にパソコンも入れ替え、様々なソフトも導入した。 If you think about it、コロナ禍があろうとなかろうと、わたしはもっと早くに自分を変える必要があった、It is a sport that is firmly connected to the essence of current sports.。もしコロナが無かったら、わたしは自分を変える最後のチャンスを失っていたかもしれない(実際にはもう手遅れだとしても)。人類史的にみれば、ウィルスは多くの生命の進化に寄与しているという面もあるらしい。―かすかにうなづく自分がいる。
A G T (America’s Got Talent) Kamome (CG) Recently、たまにYouTube でAGT(America’s Got Talent:アメリカの新人発掘番組。始まりは英国の「UK got Talent」)を見る。そこでは「天才」というのはやっぱりいるんだなあと感心する。登場する人は歌手が多いけれど、「音楽の分からない人」を自認する私にさえ、「この人は、持っているモノが違う」と感じさせる。それが「天才」というものなのだろうか。 凡人には努力、環境、遺伝 etc…どれも必要なもののように感じられるが、「やっぱり天から授かった才能!」は別世界のものなのだと思わせる、それが「天才」。共通しているのは「自分自身に対する『絶対的な』信頼」。そしてもう一つ、「自分を認めてくれる場所へ行く」行動力。さらに、冷静ともいえる「謙虚さ」。天才はなぜか奢らない。それが新鮮な発見。それも魅力。 天才はよく高い山に喩えられる。高い山からは、それ以下の山の頂やそれぞれの特徴がよく見える。麓にいたのでは、どの頂が高いのかよく分からない。もちろん麓が凡人である。-この喩えは頂の高さだけでなく、麓の重要さをも暗に伝えている。天才を支える「麓」の重要性である。それをファンと呼ぶのかもしれないが、とにかくそういう人々が天才を「天才」にする。舞台を作るのは天才の仕事ではなくファンの力なのだと、この番組を見て思う。 一方で天才とは野生の蘭のようなものかな、とも感じる。蘭は植物の中では一種の敗残種。競争に負け、少ない栄養と厳しい環境で生きていくことを選択した生命だ。目立たない薄暗がりが彼(女)らの場所。愛でる人は少なくないが、育てるのは難しく、たくさんの栄養と光の中で大木になることもない。ふと、なぜかエディット・ピアフを想う。