H・Kさんの作品は具体的で、何が描いてあるかは誰でも解ります。But、何が描いてあるかは重要なことではなく、この全体を通してH・Kさんの特別な「静けさ」を感じて貰えればいいのです。ユリの種類だの、遠近法がどうだのと言っているようではそこへはたどり着けません。そういう説明をスパッと捨てていることが「経験の力」なのです。 K・Sさんの作品は、枯れかけた草むらの一隅をクローズアップしたような画面です。そのまま描いたような、または抽象化されたような、どちらとも言い難い画面ですね。具体的、ありふれたなものも、見る距離や見方が違えば、これまでと違う世界が現れてくる、と作者は感じ、考えているわけですね。その感じ方、考え方を、できるだけ簡潔に表現するとしたら、あなたはこういう表現法以外にどうしますか?と見る人に(自分自身にも)問いかけてもいるわけですね。 そういうことが意識化されているという意味で、3点ともかなり高次元の作品だと、わたしは思っています。残念なことは、作品が高次元になればなるほど、一般の人から離れ、評価を失っていくのが現状です。いたるところで素晴らしい感性を示す日本人なのに、芸術などに関しての国民的な教養がそれに釣りあっていない、と日々感じています。Apparently, the questioner thinks that "the concrete result of sketching" brings fun.、個々の力ではどうすることもできません。