漁港スケッチは千葉県の最南端野島崎から九十九里まで車で移動しながらスケッチしたときのもの。何回かに分けて、何日もスケッチしていました。それを参考に、あらためて描いてみたものです。場所は和田のあたりだったかな。
夕方だったと思います。もうすぐ日が落ちるという時刻だったかな。動画ではそういう時刻感を表現せず(絵が暗くなってしまうから)、画面本位、色彩本位のスケッチにしました。
漁港スケッチは千葉県の最南端野島崎から九十九里まで車で移動しながらスケッチしたときのもの。何回かに分けて、何日もスケッチしていました。それを参考に、あらためて描いてみたものです。場所は和田のあたりだったかな。
夕方だったと思います。もうすぐ日が落ちるという時刻だったかな。動画ではそういう時刻感を表現せず(絵が暗くなってしまうから)、画面本位、色彩本位のスケッチにしました。

「人物画」と言えば「肖像画」と一瞬思うけれど、風景や室内に複数の人間がいるような絵も「人物画」に入れていいだろう。たとえばピカソの青青の時代の人物画や、バラ色の時代のそれなどは、少なくとも肖像画ではないけれど、主題は同じく「人間」だ。
resemble、Although it doesn't look like it, it may not be essential.。This is also the national treasure ``Statue of Gen Gen Yoritomo'', which is said to have been painted by Takanobu Fujiwara.、It is impossible to determine whether or not they resemble the person in question.、The same goes for "Portrait of Christ."。But、逆にそこに想像力を働かして片岡珠子「井原西鶴像」などというのもある。絵だけでなく、彫刻もそうだ。そうではあるけれど、まあ一般的に言えば肖像画は「本人に似ている」、人物画は「画中に人間がいることを主題にしている」ということになるだろうか。
by the way、(日本ではあまり多くないが西欧ではむしろメインな)「歴史画」というジャンルもある。人間が歴史を作っているのだから、歴史画と言われるものの多くが「人物画」だ。多くの人が知っている、ナポレオンが馬にまたがって「アルプスを越えよ」と右手を掲げて指している絵などがそれにあたる。By the way、わたしはロシアの画家レーピンの「イワン雷帝」などが歴史画としては好きである(上の写真)。
うっかりしていたが、「自画像」というカテゴリーもある。こちらではレンブラントの名前くらいは覚えておこうね。たとえ絵は忘れてしまっても。
人物画が好きか嫌いかはべつとして、興味のない人はいないはずである。多くの学者の研究によると、人間は人の顔を詳しく見るように脳を進化させてきたのだそうだ。微妙な表情一つで感情やさまざまな考えさえ伝える“人間の顔”。教室でも制作に全員苦労しているが、それだけごまかしが利かず(作者自身にとっても)、高い表現技術が求められるということなのだろう。「風景」と「人間」は芸術の2大テーマである。どこをどう考えても結局この二つに関わらざるを得ない。いまさらだが、もう少し素直にこのテーマに向き合ってみようと思う。
2ヶ月近く懸案だった「野外スケッチ動画」をやっと昨日(1月8日)アップロードできた。お正月はお酒も呑まず(呑んだが)、餅も食わず(雑煮も食べたが)の「気分で」これにかかりきりだった。内容は実に平凡で、取り立てて言うほどのことは何もないが、途中で編集上のミスがいくつも重なったので(吞み過ぎるからだろ?)、その修整過程が、実は一番勉強になったのだった。But、Oh dear、ひとつ肩の荷を下ろした気分―まさに Call it a day だった 。
But、アップした途端に現実に還った。10日からはもうYouTubeじゃない、リアル「青いカモメの絵画教室」が始まる。何か適切なモチーフはないか・・・「適切なモチーフ」はもちろん一人ひとり異なるに決まっているが、物理的、時期的に入手不可能なものもたくさんあるから、とりあえず花や野菜、果物など画材に使えそうなものを探し始めた。
リンゴを描く人(たとえばわたしのような)が、必ずしも目の前にリンゴを置いて描くとは限らない。たとえばわたしの場合は、実物のリンゴが目の前に在ると「邪魔」である。わたしにとってリンゴは重要なモチーフではあるが、別にその物理的外観をなぞりたいわけではない。わたしにとって「内的で」「リンゴの許容(包容)力(を意味するカタチ)」だけが必要なのであって、そのあとは記号としての「リンゴというモノ」のままでいてくれる方が好ましいのである。
写真的写実を発表している画家たちの多くも、実はわたしと似たり寄ったりで、その人にとってのいわば真実を描こうとしているので、目の前の物理的(光学的)に見えるままを描こうとしているわけではないようだ。むしろそこからまったく離れているように見える中小の画家たちが「わたしの絵は写実です」ということが案外多いと聞けば、一般の人は驚くかもしれない。対象物と作者との関係は意外に面白いテーマで、小説家などが良く取り上げるだけでなく、ピカソなど執拗なほど「画家とモデル」という関係性自体を描いている。「具体的なモチーフ」=「描くべき対象」だと固まっている人、ある意味ではモチーフが「反面的に」あなたを描いていることがあるかもしれませんよ。
自分とモチーフとの関係について、ちょっと考えることがあっても楽しいかもね。