AI と技術・感性

Apple-海を渡る(部分・制作中 04/03)

絵は上手にならなくていいとわたしは何度も言ってきたし実際にそう思っている画家の中にもそう思っている人は少なくないと思う

אָבער、ネットを見ているとむしろ細かい技術ばかりにニーズがあるように見える「〇〇の描き方」「〇〇の使い方」のようなコンテンツの視聴率が高いこれが実際のニーズを反映していると思うかチャットGPTに聞いてみると「ネットでのニーズが実際のニーズかどうかはわからないしネット上でもそれが本当のニーズではなく単なる興味本位好奇心だけであるかもしれない」云々でもまあネット上では少なくとも「技術」「ハウツー」「エンタメ」に興味が集中していることは確かだ

「絵画(芸術)は技術だけでできるものではない」と謂われわたしもつい最近までそう思ってきた。אָבער、直近のAIの進歩を見ると人間が「技術だけでないもの」をはたして判定できるのかが心配になってきた「人間が望む『感性』も(数秒でいくつでも)与えてくれる」ことが明らかになってきたからである「自分の感性」などと言っているうちに「AIに教育された感性」を自分固有のものだと思いこむ状況になりはしないか

技術も感性も方法は異なるが磨くことはできる技術の方が磨きやすいがいずれはどんな技術もAIに追い越されるのは確かだ感性はどうだろういまのところAIは人間の域には達していないらしいAIの登場で人間はいずれ仕事をしなくなる(できなくなる)感性を磨かない人間はどうなるのだろうか絵はだいぶ進んできた考えがまとまっていないところがまだ少しあるのでやはり締め切りギリギリまでかかるかな

花見に行く気がしない

「絵画の明暗」ビデオ用に制作

絵画の基本レッスン用ビデオ1本をYouTubeにアップしました明日4月2日9:00に公開予定です教室でやったことを簡単なビデオにしただけ。6分24秒理屈は解っているけどどうやって作品と結びつけるかは別問題でその最も単純な例を描いてみた

毎日忙しいがどれひとつとしてかたちになってこない例えばビデオ製作ではビデオという物理的なかたちはできてくるがそういう意味ではなく自分の仕事としてのかたちが見えてこないということ単に「練習」の日々いつまで続くのかはたしてかたちになるものかはっきりしない日々は案外重苦しい

一歩外へ出ると花見の列近くのスーパーまで裏通りを通って買い物に行ったがそれでも普段の3倍の時間がかかった表通りは渋滞今の日本では誰でも自宅から歩いて10分以内に桜があるのではないだろうか花見ならそれでもいいのだろうがわざわざこうして渋滞の中を出かけていくということは別な意味があるのに違いない

YouTube から気づいたこと―わたしの場合

黄色い花のスケッチ(水彩)

昨日(3/28)教室でデモ制作したスケッチですこれを一回の講座時間内で描き上げるのはなかなか難しいと思います教室の人たちも結構焦りながら(かつのんびりと)描いていたようです

教室の人たちは皆さんベテランなので当然のようにすんなり描き始めますが初心者でいきなりこれを描けと言われたらとたんに固まってしまいおそらく手も足も出ないでしょう教室では何十段ものステップを積み重ねてきていますから本人の満足度を別にすればとりあえずこれに近い状態まで描き上げることができました

こんな複雑なモチーフを短時間で描けること自体すでに初心者とは言えないレベルであることを示していますがそれなのに油絵や他の教室の人たちも含め「自分はちっとも進歩していない」「いつになっても初心者レベル」とどうも思い込んでいるようなのです理由は「遠近法がよく理解できていないようだ」とか「骨格や表情の表現がうまくできない」からなのでしょう確かにそれらの一つ一つは乗り越えてほしい課題ですが全体として見ればある程度描きたいものは描けるようになっています常に上を見る上達への志向性と「自分はまだまだ」と自信を持てないこととが裏腹になっているのですね

לעצטנס、YouTubeをやって気づいたことはたくさんあるのですがそのひとつが今述べたことですYouTubeへのアップに力を入れ始めて半年視聴者はずっと増え続けましたがここ1~2ヶ月はどんどん減っています決して手抜きではないし内容が悪いわけでもない。דערנאָך、どういうことなのか?送られてくるデータをもとに考えてみました
 ひとつの仮説―内容が難し(高度)過ぎる
 ビデオを企画するとき頭の中に教室の人たちのことを思い浮かべますそして彼(女)らが次のステップに進む助けになるように作ろうと考えます。אויף די אנדערע האַנט、YouTubeは基本的に上昇より間口の広いことがプラスに働くようにプログラムされています日本人の多くの人は自分の実力を過小評価しがちです中級どころか上級者でさえ「自分はまだ初心者」と考えているのですもちろん謙遜もあるでしょうが少し自己肯定感のバランスが行き過ぎではないでしょうか。סייַ ווי סייַ、そんなわけで初心者以上のレベルを想定すると間口がぎゅっと縮まってしまうのではないかそんなふうに感じています視聴者が増えていた時はわたしもYouTube初心者だった(それは今もですが)ので「初心者」とある意味で波長が合っていたのでしょう