身体というフィルター

思わずポカンと口を開けてしまったそこにわたしのやったことが書いてあったからちょっと長いが引用する―「たとえばリンゴと言えば赤くて丸い果実のことですよねもうガチガチに辞書的な意味が固まっていて亀裂などないだけど詩人は言葉と意味の束縛を解いてまったく違う意味を見つけますリンゴを割った断面を崖の斜面に見立てたり・・・」―まるでわたしが崖とリンゴ(今のAppleシリーズにつながる)を結び付けた瞬間を見ていたかのようだ

今朝読んだ朝日新聞デジタルでの連載「AIと私たち」の中で郡司ペギオ幸夫氏が述べたこと(ちなみにペギオはペンギンが好きだからなんだと)。אָבער、次の瞬間別のことも考えた「例に出すってことは誰にも分かりやすいってことなんだな」飛んでる発想ではなくてちょっと横に一歩足を出してみただけってことかともちろんわたし自身もその程度だなとは当時も今も思っているけどね

こうも言っている「AIそれ自体よりAIによって世界がすべて理解できると思いこんでしまう人が増えていることが怖いですね(少し短くしています)」解剖学者の養老孟子氏が「AIはバカの壁を越えられない身体を馬鹿にするなと言いたいね」と述べていることにもつながっている

「何を描くか」の発想を考えるとき(今はあまりしないが)まず詩集を手に取ってイメージの湧きそうな言葉を拾い出すことから始めていた詩の内容はあまり深く理解できなかった気はするが言葉から発想空想を広げられるかどうかにはわたし自身の経験が重なることが必要だった「身体というフィルター」を通して言葉と意味を行き来させるかぎりそこには鮮やかな(個別の)ディティールが浮かび上がる小さな突起で腕を擦りむいた―そんな身体性が作品を支えていたんだなあAIが作る画像の空虚さがまさにそのことを裏返しに示しているのだと思う

פֿאַרעפֿנטלעכט דורך

טאַקאַשי

Takashi ס פּערזענלעך בלאָג。ניט נאָר וועגן פּיינטינגז、וואָס איך טראַכטן וועגן יעדער טאָג、וואָס איר פילן、איך שרייב וואס ס'קומט אין מיינונג。דער בלאָג איז דער דריט דור。פון די אָנהייב, עס איז געווען איבער 20 יאר.。 2023פון יאנואר 1、פֿאַר איצט, איך באַשלאָסן צו נאָר שרייַבן אויף מאָדנע נומערעד טעג.。איך בין געגאנגען צו טראַכטן וועגן מיין צוקונפֿט ריכטונג און אנדערע זאכן איינער דורך איינער.。

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אייער בליצפּאָסט אַדרעס וועט ניט זיין ארויס. פארלאנגט פעלדער זענען אנגעצייכנט *