ときどき詩人

キャンバスからCGスケッチ

ときどき詩人になるのがいい、ฉันคิด。世の中動くのが少しどころでなく早すぎる自分の周りを壊れた走馬灯のようにグルグル早回しで回っている感じがしてならない眼を閉じるかあるいは目の前の小さなものだけをぼんやり眺めるそんな時間が必要ではないかと思う。อือ、そうしないと実は自分が死んでしまっていることにさえ気づかないまま死んでいるかも知れません

「時々詩人になるのがいい」というのは、แน่นอน、詩人がのんびりして暇そうだという意味ではありません単にのんびりリラックスすればいいというわけでもありません「詩人」はもちろん比喩ですが画家でも音楽家でも運動家(スポーツ)แต่、何でもいいというわけではありませんやはり「詩人」がいいのです

詩人は自分の感覚や周囲のことがらを言葉に置き換えていきます。”言葉に置き換えるということが重要ですわたしたちは言葉で自分の考えをまとめあげているからです(そういう意味では数学者(科学者)でもいいかも知れませんがわたし自身が想像できる範囲を超えています)

あくまで比喩ですから実際に詩を書く必要はないのですがほぼ詩を書くような気持にならなくてはなりませんそれが難しいのは確かですがそれが出来なければ「走馬灯ぐるぐる」をずっと見ているしかありません「詩人」は唯一そこからの脱出口なのですから
 でもなぜ詩人?とあらためていうとなぜ脱出するのかその結果どういう意味があるのか(あったのか)詩と走馬灯の関係などを言葉にして記憶しておく必要性詩を作らなければならないからです・・分かったような解らないような疲れていますね

เผยเเพร่โดย

ทาคาชิ

Takashi の個人ブログ。ไม่ใช่แค่เกี่ยวกับภาพวาดเท่านั้น、สิ่งที่ฉันคิดทุกวัน、คุณรู้สึกอะไร、思いつくままに書いています。บล็อกนี้เป็นรุ่นที่สามแล้ว。はじめからだと20年を越えます。 2023ตั้งแต่วันที่ 1 มกราคม、ตอนนี้ฉันตัดสินใจเขียนแค่วันที่เลขคี่。今後の方向性その他のことはぽつぽつ考えて行くつもりです

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