T団地の午後

ありふれた風景だが、10年後も「ありふれて」いるかどうかはわからない住まいの形態は時代とともに変わるだけでなく戦争などで一気に変わることもわたしたちはいま目の前にしている

平日の午後平和な団地。แต่、ひっそりとして人影はほとんどない時どき車が通りときどき自転車に乗った高齢者がよろめきながら過ぎ去りカートにつかまった買い物帰りとみられる老女がゆっくりアパートの入り口に向かっていく

関東の冬は陽ざしがある緑の木の葉がきらきらと輝いている暖かい室内から外を見ているとまるで春のようだ。แต่、子どもの声は聞こえない人々の話し声も聞こえない平和なありふれた風景

春は廻る

「桜とメリーゴーランド」 水彩

YouTubeに意識的に時間と体力を注ぐようになってまる1年半が過ぎましたその前の約一年間は YouTube 自体にほとんど興味もなくあとできっと必要になるからと言われたことと急いで iPadに慣れる必要があったのでiPad で絵を描きそのプロセスを簡単な動画にしてアップロードするという練習だけで過ぎていきました

「普通の動画」を作れるようになろうと「意識的になった」この1年半の間に視聴回数は3000回から60000回へチャンネル登録者数は30人くらいから600人以上まで約20倍になりました始めた頃のわたしなら「凄い」と喜べた数字ですでも 現実的にはこれは「あなたはYouTubeに向いていません」という宣告にも等しい数字なんだそうです確かに18ヶ月かけて20倍じゃ単純にやった分しか増えてないってことですもんね人が人を呼ぶいわゆる加速度的なカーブじゃないとダメってことです

YouTubeで「成功」というためにはわたしの場合現在のさらに100~200倍の視聴回数・登録者数が必要なんだそうです!それがどれだけ距離感のある数字かわたしにも今はだんだん分かってきました
 趣味だと割り切れれば別に構わないことですが教室的に何か役に立たないかなあとおぼろげに考えていたわたしは考え方を変えなければならないことになりました時間と体力の消費が大き過ぎるのです絵を描く楽しさを伝えたいなんて思っていたのにそのためにわたし自身が絵を描く時間を失ない眼を悪くし(これは加齢のせいか)時どき鬱に陥ったりしているのですから文字通りの本末転倒です

せっかく始めたYouTubeをやめたらいいんでしょうかまだちょっと勿体ない気もします「成功」なんてもともとできるとは思っていなかったけれどちょっと「役に立つ」くらいはまだ生かせる余地があるんじゃないかなんて未練がましくさらに深みにはまりそうな気もしますし
 しばらく気分転換が必要かもしれません暦の上ではまだ冬ですがもう数日で「立春」です先ずは桜の花でも描いて自分を楽しませてやろうと思っているところです

ช่องไม่ตรงกัน

12ฉันอัปโหลดวิดีโอเป็นครั้งแรกในช่วงเวลาหนึ่ง。หากคุณมีเวลา、ฉันอยากให้คุณลองดู。เป็นเวลา 8 วันแล้วตั้งแต่ฉันเขียนบล็อกครั้งล่าสุด。ฉันยังเขียนบทความ、ไม่ใช่ว่าฉันไม่สบายเหมือนกัน、ขึ้นมัน、ฉันแค่ไม่รู้สึกอยากอ่านมันเลย。

たぶん多くの日本人(90%位?)が持っているような、ฉันคิดว่าฉันมีอาการซึมเศร้าเล็กน้อยมากเช่นกัน。ฉันเดาว่ามันจะปรากฏขึ้นบางครั้ง。แล้วก็、ไม่มีประโยชน์ที่จะทำอะไรเลย、ฉันรู้สึกเหมือน、ฉันรู้สึกอยากทิ้งงานที่ทำไม่เสร็จทิ้งไป。ในทางกลับกัน、“แสงสว่าง” แปลว่า、ฟังเพลงดีๆ、เมื่อฉันเห็นภาพที่ดี、ฉันรู้สึกมีพลังขึ้นมาทันทีและพูดว่า ``ไปไกลกว่านี้หน่อยเถอะ''。แล้วฉันคิดว่าฉันจะหยุด。

ทั้งหมดเมื่อปีที่แล้ว、ฉันถอนตัวออกจากสถานที่ส่วนใหญ่ที่มีการนำเสนอผลงานของฉัน。มองภาพใหญ่、ดูจะยิ่งตามหลัง "สังคม" ลงไปอีก。ออกไปสู่สังคม、จะต้องเกี่ยวข้องกับสังคม、โลกถูกสร้างขึ้นในลักษณะที่เป็นการยากที่จะอยู่รอด、ฉันอยากอยู่คนเดียวถ้าเป็นไปได้、ฉันมีบุคลิกแบบนี้มาตั้งแต่เด็ก、ดูเหมือนไม่มีอะไรเปลี่ยนแปลงไปมากนัก。อย่างไรก็ตาม,、一人で畑を作り魚でも釣って自給自足するほどの知識も能力もなく、มันเป็นเพียงความปรารถนา、ฉันไม่สามารถอยู่คนเดียวได้จริงๆ。

ขณะนี้มีชั้นเรียนวาดภาพ、นั่นคือจุดติดต่อกับสังคม。อย่าวาด、ฉันไม่ค่อยได้ติดต่อกับคนที่ฉันไม่สนใจ。กับสังคม、絵以外での接点を広げるような努力はまったくしてこなかった(絵でさえも積極的ではなかった)。ในแง่ที่ว่า、ฉันเป็นคน “ไม่เหมาะกับสังคม”、ฉันกำลังวางตำแหน่งตัวเอง。ผมคิดว่ามันไม่ "ไม่เหมาะสม" นะครับ、繋ぐことが上手にできないタイプなんでしょうね(「絆」なんて言葉も嫌いだし)
 決して人間嫌いではないけれど社交好きではないファーブルやシートンが好きなのはそういうところがああるからかもしれません。แต่、日本ではそういう人が増えているんじゃないでしょうか。กล่าวอีกนัยหนึ่ง、一方でSNSなどで人とのつながりを求めつつ一方でそれぞれが一人になりたがっているそのジレンマの中で誰もが「軽い鬱」を持っている。กล่าวอีกนัยหนึ่ง、わたしのような人はごく普通だと言っているわけですけど