葬儀について思うこと

鴻巣市のひな飾り

3/2〜3/7まで葬儀への出席と手伝いに行ってきた。葬儀のことを見、主催し、手伝ってみて、つくづく重荷だなあと思う。

親の死を子が看取り、生前の恩に感謝して立派な葬式をするのが子の務め、なんだろうか?葬儀の経験をすればするほど、そうは思えなくなってくる。そういう言葉を、他人に見える形にするためだけに、体も心も経済的にも疲れ切ってしまっているのではないか。

どんなに小さな規模にしても、葬儀屋に依頼しての仏教式の葬儀なら、あれこれ入れて100万円近くは必ずかかってしまう。しかも慌ただしく、死を哀しむいとまなど全くない。あとから虚しさとお金の負担だけがずしりとのしかかってくる。日本全体で見たら、恐ろしいほどの(無駄遣いとまでは言わないが)重荷に違いない。本当にこれが、遺された子の、家族の受けるべき務めなんだろうか。病気で長く入院などしていたら、なおのことその負担は重い。

自分が死んだ時は、せめて子の負担にならないように質素にして欲しい、あるいはその前に自ら消えてしまいたい、と考える人は多いのではないか。せめて、そのお金を子やその家族の為に使って欲しいと思う人が多いのではないか。自分の葬式代位遺せますという人も、もちろんたくさんいるだろうが、私ならそのお金を元気なうちに遣ってあげたい気がしてならない。

เผยเเพร่โดย

ทาคาชิ

บล็อกส่วนตัวของ Takashi。ไม่ใช่แค่เกี่ยวกับภาพวาดเท่านั้น、สิ่งที่ฉันคิดทุกวัน、คุณรู้สึกอะไร、ฉันเขียนตามที่ฉันคิด。บล็อกนี้เป็นรุ่นที่สามแล้ว。เป็นเวลานานกว่า 20 ปีนับตั้งแต่ต้น。 2023ตั้งแต่วันที่ 1 มกราคม、ตอนนี้ฉันตัดสินใจเขียนแค่วันที่เลขคี่。ฉันจะคิดถึงทิศทางในอนาคตและสิ่งอื่น ๆ。

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