Study

Apple ‐包む study1
             Apple-包む study2  (画像を拡大してみてください)

実際の材料を使った制作のための習作(study)を描いているパソコン上にはたくさんのブラシ(筆)があり良さそうなものを一つ一つ試しながら使っているどれほどの数のブラシがあるのか見当もつかないし果たしてどれが最適なのかも全然分からないおそらく一生かかっても使いきれないほどの数や使い方があると思うなんとなく有名なものを試してみる程度しか今は選択力もない

描きながら「ふーんこんなことができるんだ」ひと昔前初歩的なペイントソフトを使ってみて使い物にならないと思ったのがウソのような進化たとえば油彩ならぬるっとした手応え感や水彩筆が紙とこすれあったりじわじわと染みていく生理的な感覚はまだないが鉛筆ブラシやペンブラシなら既にそうした触感もあるというからそれらがパソコン上で感じられるのも時間の問題だろう(私が知らないだけでもうできているのかも)

「英語ができるようになるには頭が英語脳にならなければならない」と聞いたことがある日本語で考えそれを英訳しているようではだめだという話だった何か国語も話せる人は話すときには瞬時にその言語で考えるように頭が切り替わっているらしい一種の多重人格のような感じだがパソコンもそうなのかもしれないと感じてきた

水彩絵の具をチューブからパレットに絞り出すとき頭はそれがいま塗られている絵の具にどう混じりあうか考えているそして次の瞬間にはそれも忘れて目の前の状況に反応していく=『水彩脳』パソコンで水彩絵の具を塗るときはまだ頭の中で現実の絵の具を想像しているそれでは頭の中で英作文してから話すようなものでかったるい習作(study)を重ねながらパソコン脳をStudyしている

パソコンで描く

「薔薇のスケッチ」

昨日のスケッチも上の絵もパソコンだけで描いたものパソコンだけで描いたものはこれまでもたくさんこのブログにも載せているこれまではお絵描きを楽しんでいるだけだったがコロナ禍のいまパソコンのお絵描きをもっとまじめにやらなくちゃそう思い始めた

「自作パソコン」でも紹介したように私のパソコン環境もずいぶん変わってきたそれにともないパソコンに対する私の態度も少しずつ変わってきた。1年前よりずっと親しくなってきた(つもりでいるが)それでも時折癇癪を起こしマウスを叩きつけ壊しては無駄な出費と反省を繰り返す

私はパソコンの方が悪いと思っているが息子に言わせると200%以上私の方に非があるという。לְמַעֲשֶׂה、私のパソコンはかなり狡猾な奴で息子が来た時だけ実に素直に言うことを聞くが彼がいなくなったとたんに再び私に意地悪をする嫌な奴なのだとばっちりを受けているのがロジクールのマウスと机彼らに罪がないのは分かっているが…ごめんねマウス君机さま

パソコンがご機嫌の時はなんでもすいすいと進みパソコンがあることに感謝したくなるがちょっとでも気に入らないとすぐへそを曲げ小さなことをいちいち確かめてくる「そんなことちょっと考えればわかるだろ!」それがいけないのだというなんでもハイハイと言うことを聞くのがパソコンと上手に付き合うコツなのだとかまるで2歳児だ今に見ていろパソコンめお前もそのうち大人になれば大人の苦労もわかるだろう

「不要不急」とはなんだ

「薔薇に雨降る」

 「不要不急」とは「急ぐ必要がないもの必要そのものがないもの」という意味であるほぼ「無駄だ」と言っているようなもの自分のことを言うのならともかく他人の外出に対し「それは無駄だ」と言ったなら場合によっては殴りあいになるほどの傲慢な態度とみなされるだろう「不要不急」とはふつうは人が他人に言うべきことばではない

 ところが現下の日本では「不要不急かどうか」を「他人目線で判断せよ」と暗に(時に露骨に)強制されている話がすこし跳ぶが「自粛警察」なるものがときおり批判される。אבל、批判の仕方がマスコミではなんと「行き過ぎた正義感」という扱い方だ正義感だって?自分の尺度で他人を脅すことを「正義感」と言っていいのか?一方的な狭い解釈にだけ人を追い込むような環境をすこしずつ醸成していく農村的村八分的非近代的な「日本人」が彼らを駆り立てているもう少し進めば医師や夜間救急の救命士などは「必要至急」の筆頭格それら以外はみな不要不急ということにさえなりかねないかつての軍人以外はみな不要不急の人々だったように

 「緊急事態だから仕方ない」たしかに仕方なくなってしまった。אבל、今回の「緊急事態」は無策の結果という面が小さくない首相は「国民には厳しい要請」だと言っておきながらなぜそうなったかそのためにどんな手を打ち緊急事態宣言がどのように推移するかの見通しさえまじめに語ろうとしない都合のいい時だけ科学者をつまみ食いするばかりで彼らと真剣に議論する気持を持ってさえいないように見える外出自粛とGoToキャンペーン会食自粛とGoToイートの間の整合性にも頬かむりしたままだ

 毎度のように「丁寧な説明」「説明責任」と口では唱えるが結局は「説明は控えさせていただく」の繰り返し夜8時以降の飲食店閉店と言ったかと思えば昼間の外出会食も控えるようにという飲食店はみな潰れろと言わんばかり出勤する人の7割削減どうやってそれを達成するのかすべて国民に丸投げだそれが菅政権の掲げた「自助」の真意かそれが「国民のために働く内閣」の実態かそれを何の批判もなく「コロナだから」とすんなり受け入れる国民の「物わかりの良さ」よ

 菅首相が口ごもりながら「国民健康保険の見直し」に言及した自民党の一部には堂々と憲法から「基本的人権」条項を抹消すべきだと主張する議員たちがいるすべての国民の楽しみを戦争のために犠牲にさせたこの国の過去への真摯な反省も無しに「不要不急」とはコロナ禍のどさくさに紛れ国民の権利はく奪のために計算づくで挿入された「大本営的」官僚語だと私は怯えている。