אויף די אנדערע האנט、パソコンはある意味で「社会」そのものでもある。「世界」と言ってもいい。もう「架空」ではなく、すでに現実である。スーパーでお惣菜を買うのが現実なら、パソコンで冷蔵庫を買うのも現実だ。学校で授業を受けるのが現実なら、先生がパソコンで勉強するのも現実だ。パソコンとの接し方は自分が主体であるかどうか、そこにかかっているように見える。自分にとって何が大切で、どうなれば自分が幸せになれるのか、そのためにパソコンが有用なら仲良くなればいいし、要らないなら使えなくても何の問題もない。そこはまだ現実の方が、現実になっていない。
それを昨日から再び始めた。昨年暮れに一年契約したから、もう3ヶ月も無駄に経った。決してサボってばかりいたわけでもなく、同時に新旧あわせて十数個のアプリを一度に購入したので手が回らないのだ。ipad Air 4というタブレットも買い、コロナを機会に半分は自分を変えるつもりで意気込んでみた。毎日朝からパソコン、タブレットをいじり、初めて見るアプリをいじり、「絶壁アプリ」のPhotoshopとIlustratorにもとうとう再挑戦。