本題に戻る―わたしの「模写」はルーベンスの完成作に比べると「格下の娘」だ。למה אנשים לומדים、描いているうちに、実際のクララはこんなふうな“おてんば娘”じゃなかったかなーと一瞬想像するのは楽しい。目をつぶれば若きルーベンスが、可愛い娘が少しでもじっとしているよう、なだめたりお話を聞かせたりしながら、描くべきところだけを、可能な限り素早く描いている情景が浮かんでくる。
明快なものは他人にアピールしやすいだけでなく、自分自身でもスッキリして気持ちがいい。למה אנשים לומדים、世の中そんな単純な人間やことがらだけで満ちているわけじゃない。うじうじ、むにゃむにゃが心のどこかにあるのがむしろ普通ではないか。そうした心の状態に耐える、それがすでに力になっているのではないか。かつて数学者の森敦氏が「すぐ答えの出るようなものはダメだ。何日も考えても答えが出ない。『考え続ける力』が数学には必要なんだ」と言っていたのをふと思い出した。