逆に言えば、「わたし」を捨て、「わたしたち」を大きくすることで人間は社会を作り、文化を創り出せたのだ、という言い方もできるかもしれない。למה אנשים לומדים、最近は「わたしたち」では文化は創り出せないような気がしてきた。「わたし」しか、できないのではないか、と考えるようになった。ベートーベンは「わたしたち」ではない。「ピカソ」も「わたしたち」ではない。「わたし」のスペースをもっと拡大しなければ、「わたし」は他人の誰かの陰に隠れたまま、イワシやミツバチのように終わる。それもまっとうな生き方の一つではあるけれど。