

今日は久しぶりの雨。そのせいか首が痛い。だいぶ前に頸椎ヘルニアになったことがあるが、それ以来の苦しい感じ。その際、病院では「この程度なら放っとけば治る」ということで、実際その通りになったが、意識しなくなるまでに3ヵ月くらいかかったような気がする。またそんなにかかるのか、という気分だけでもウンザリ。なにかヘルニアになるような特別なことをした覚えはないのだけど・・。
ペンスケッチを続ける。そのうち、何かがひょこっとこぼれ落ちてこないとも限らないから、手が動くならスケッチする。


今日は久しぶりの雨。そのせいか首が痛い。だいぶ前に頸椎ヘルニアになったことがあるが、それ以来の苦しい感じ。その際、病院では「この程度なら放っとけば治る」ということで、実際その通りになったが、意識しなくなるまでに3ヵ月くらいかかったような気がする。またそんなにかかるのか、という気分だけでもウンザリ。なにかヘルニアになるような特別なことをした覚えはないのだけど・・。
ペンスケッチを続ける。そのうち、何かがひょこっとこぼれ落ちてこないとも限らないから、手が動くならスケッチする。


目が覚めたら、昨日までに開きかかっていた蕾がすっかり開いていた。水を替えたり、触っているうちに、今まで咲いていたひとひらがポトンと床に落ちた。このストーリーを絵に描けないだろうか。試し描き程度に数度使っただけで、以後ほとんどしまいっぱなしだった「PM紙」をケースの中から再発見、使ってみた。
「絵にストーリーを持ち込むのはよくない」と言われたものだった。わたしの絵はそういう傾向が強かったのも今では分かるし(今もそうらしい)、それがなぜいけないと言われたのかも解ってきたつもり。そのうえで、再びストーリーを持ち込みたい、と考え始めた。
なぜかって?たとえば人は文章を読むのではなく、文章の「すき間を読む」のが普通だから。「美味しいカレー」はまだ素材の領域だが、「この人の作るカレーはなぜこんなに美味しいのか」は芸術の領域だと思うから。



「青いカモメの絵画展」の開場受付に飾ってあった花。処分のために持ち帰ったが、勿体ないので翌日の油絵教室のモチーフにも使った。傷んできた花を整理してスケッチしてみた。そのうち、コンポジションを作って、作品化することもあるかもしれない。