絵を描くタイミング 撮影準備中 陽あたりの道ー背景の工夫 朝は元気で、さあやるぞ!って感じだったのが、時間とともに沈んできた。特に痛いところとか、あるわけじゃないが、生きていると、誰でも様々なクソ用事が出来てくる。それが重たくなってくる。「人生にストライキ」なんてできたらいいなーとか。もう、ストライキなんて言葉も死語化するほど、世の中ツルツルになっちゃってて。 絵を描いて、疲れたーって感じたことがあまりない。動かないで、あれこれ悩んでいる方が何倍も疲れる。適当にウォーキングするほうが、休んでいる時より元気になる。脳の疲れには肉体労働が効く、とはよく聞くが、実際そう思う。 そういうわけで、(ごく)最近は疲れたら「絵を描く」。もちろん、疲れすぎていちゃダメだけどね。
画家という「ひとびと」 今日17:30頃、アップロードしました。見てね~ 「Green-apple」 テンペラ F4 忙しい。といって、仕事をしているわけではない。「遊びに忙しい」?ってほど、優雅なはずなどないが、ゼニにならない時間を遣ってるということは、(世間的には)「遊んでる」っていうんだろうね。自分的には納得しないが、そう見る人はたくさんいるんだろうなっ、てのは感じている。 「Green-apple」。スキャン画像がこれだけど、600 (pix/inch) でスキャンしたのに、このピントの甘さはなに?まるで、眠ってるようじゃないか!なんてイラついてしまったが、冷静に考えると、いろいろ原因があるようです(絵の方はもちろん、ずっとシャープですよ!)。 די אנדערע טאג、わたしより10歳以上若い、ある人気画家と話をした。「(美術)大学で理論とか技術とかいろいろ勉強したけど、結局、子どもの時にやってたことを大人になってもやってるだけってことなんですよね」「子どものときには解らなかった、絵を描くことの意味とか、知らなかった技法、技術。当時は使えなかった素材などを使って、あの頃の延長をやってるだけなんですよね」。そう、そう。そうなんだよね。 (世間的には)馬鹿というんだろうか?“純真”って言うんだろうか?どちらにしても、本人的には「どっちでもいいし、どっちでもなくてもいい」。やりたいことができさえすればいいし、できているなら続ければいい。続ける気がなくなるか、続けられなくなったら、それで終わり。それ以上あれこれ先回りして考ると、結局やれないことになってしまう、それが世の中というものかも。やれることを、やれるときにやる以外になかった人々、なんだろうね。
アヤメとアイリス 「ジャーマンアイリス」 水彩 コアヤメ 模様の拡大 アヤメとアイリスの時季になった。それにアジサイが加わって、青い花が増えるのが嬉しい。わたしは花が好きだが、特に青い花が好きだ。אָבער、花全体の中では(たぶん)青い花は少ないのではないか、と思う。וועגן דעם、ガクアジサイなどが至る所で見られる、この時季がいい。そういえば、矢車草もこの時季ではなかったかな。あの色も好きだ。 アヤメと菖蒲の違いはよく話題にされるが、「綾の目」のような模様があるのがアヤメだと、たいていの本に書いてある。און、たいていは、その「綾の目」なるものがどういうものかについては、写真がない。 ジャーマンアイリスを何枚か描いた。そのうちの一枚の制作を撮影し、「リッチな色彩を考える」として、現在、ビデオに編集中。早くアップしたいけれど、今月はとても忙しいんです。 それに前回のビデオ製作に疲れてしまい、アップロード後、4日間くらいは次のビデオのことを考えるのも億劫なほどだったので、すべてが遅れ気味になっている。そのため、昨日も絵を描かなければならないのに、結局一日中ビデオ編集に追われた。坐ってばかりだから、脚の血行が悪くなり、あちこちがつってしまう。 散歩道に、「コアヤメ」が咲いていた。コアヤメというのが正しいかどうかは分からない。グーグルレンズを向けたら、そう出ただけ。それが上の写真。目立たない、小さめのアヤメだが、間近にみるときれいだ。これが「綾の目」?コアヤメだから、ちょっとちがうかもしれないが。日本の、というより、もっとオリエンタルな感じがする。