
水彩画への、私にとっての新しいアプローチ。簡単なことなのに、なかなか第一歩を踏み出せなかった。鉛筆を一切使わず、絵の具が乾かないうちにどんどん描いていく。それだけが条件。面白い結果になりそうな気がする。
דערצו,、私には実際、こんな風に見えているように思える。明るさと色、ぼんやりしたかたち。これを油彩でもテンペラでもやり、人物画でも静物画でもやる。אָבער、水彩の方が何となく肌に合うというか、可能性が大きいような気がする。

水彩画への、私にとっての新しいアプローチ。簡単なことなのに、なかなか第一歩を踏み出せなかった。鉛筆を一切使わず、絵の具が乾かないうちにどんどん描いていく。それだけが条件。面白い結果になりそうな気がする。
דערצו,、私には実際、こんな風に見えているように思える。明るさと色、ぼんやりしたかたち。これを油彩でもテンペラでもやり、人物画でも静物画でもやる。אָבער、水彩の方が何となく肌に合うというか、可能性が大きいような気がする。

そろそろ数え日の時期になってしまった。一年の終わりころになって、やっと年初の誓いを思い出すなんて、誓い違いも甚だしい。
今年は「自分らしい風景画」を1枚は描くぞ。そんな誓いを密かに立てていたが、いつのまにか「描きたい」という願いにすり替わっていた。「願い」では弱い。「誓い違い」であっても、ויכעט、誓いでなくっちゃ。「来年やろう、来年」。そうやって何年も、何年も持ち越してきた「誓い」や「願い」が積み重なり、その重みでもう胸が押しつぶされかかっている。
年末になると、いつもそんな「出来なかったこと」のオンパレード。私の、ペースメーカーに守られたハートもチキン、チキンと痛む。来年は頑張るけど、その前に今年の残りはどうする??大臣、高級官僚並みの記憶喪失症に、私もなりたいな。

アトリエ内の植物が、なんだか変に元気になってきた。先月末、朝夕の気温が下がり始めたので、仕方なく外からアトリエに入れた、寒さに滅法弱いやつら。ホニャホニャと力無く伸ばしていた枝もバチバチ切って、サイズを縮めて。文句は認めない。
当然だが、アトリエは熱帯植物園じゃない。温度一定など出来るはずもないし、制作の邪魔になれば寒くても隅っこに移動する。私は暑がりだから、暖房もしょっちゅう切る。さすがに飯(水)抜きでは可哀想だから、水やりだけは土の乾き具合と、植物の顔を見て、「どうする?どのくらい欲しい?」と聞いてやる。欲しいという量の70%くらい。葉っぱの面積、それぞれの実家の気候、鉢の大きさ(100%私の都合なのだが)は一応按配し、必要量を1日おき。ぜいたくなどさせない。
なのに、なぜ?なぜかやたら元気がいい。あちこちから新しい芽や葉なんぞ出しやがって、これからが本格的な冬だと解ってんのか?植物だって確か80%以上、ゲノムが人間と共通しているはずだぞ。どうすんだ、おめえたち。俺は責任持たねえぞ、てめえの新しい芽なんかに。