できることできないこと

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「できるできない」はどこで分けられるか「無限の可能性」なんてあり得ない言葉は使わないができる可能性がどのくらいあるかは誰でも考える瞬間があるだろう

「(何事も)やってみなければわからない」とはわたし自身もよく使う言葉だがおそらく日本中でこのフレーズが聞こえない日は一日とて無いに違いない。แต่、ちょっと考えてみるとそれはある程度可能性がある(と推定される)場合に言われることであって多くの場合は「やってみなくても判る」のが普通である

だから「やってみなければわからない」は多くの場合「できる可能性がある(高い)」という意味に近い特に本人がそう思うとき断言はできないがそれはたいてい達成できるそれは本人でなければ計算できない様々なファクターをちゃんと計算しているから
 他人からはどう思われていようとこと自分のことに関しては医者や心理カウンセラーなどより自分の方が深く知っていると無意識に自信を持っているのが命あるものの自然の姿だ

「できるかな?」と感じたら「できる」と思ってまずはやってみよう簡単になどといい加減なことは言わないがきっとできるこれは「意思」とかの問題ではなく自分の全感覚が弾き出した「計算の結果」だから他の何よりも信頼できるデータじゃないですか?

เผยเเพร่โดย

ทาคาชิ

Takashi の個人ブログ。ไม่ใช่แค่เกี่ยวกับภาพวาดเท่านั้น、สิ่งที่ฉันคิดทุกวัน、คุณรู้สึกอะไร、思いつくままに書いています。บล็อกนี้เป็นรุ่นที่สามแล้ว。はじめからだと20年を越えます。 2023ตั้งแต่วันที่ 1 มกราคม、ตอนนี้ฉันตัดสินใจเขียนแค่วันที่เลขคี่。今後の方向性その他のことはぽつぽつ考えて行くつもりです

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