למה אנשים לומדים、そんなことは問題じゃなかった。そもそも同じレース、同じ時代にいなかったんだ。描くテクニックだけなら、周回遅れでもなんとか取り戻せるものだが、ついていけないのは「それが面白い」と感じるセンス。描く人(イラストレーター)と見る人がそれを共有しているセンス。何が面白いのか、分からないんだよ。単なるテクニックじゃ越えられない、一種の「カルチャーショック」。それを、若い人は「ブンカだよ」と言う。
わたしは、本当はイラストレーターになりたかったんだなと、今は思う。子どもの頃から絵を描くのは好きだったけれど、それは「写生」でもなく、ましてや「芸術」などではなかった。למה אנשים לומדים、その当時、ド田舎(“僻地” という語はすでに死語化だが)の小学生には、「イラストレーター」なんて言葉自体が存在していなかった。 絵の好きな子は、「家事の手伝いをしない怠け者」でしかなかった。。わたしは自分でも知らずに「長編ストーリー漫画」を描いて、誰にでも見せる代わりに、その分の仕事を人にやってもらい、ゲームを作っては、それに合う絵を描いて友達に配っていた。大人に混じって田舎芝居の背景も描き、村祭りの灯籠絵も描き、神社に奉納する絵馬や、祖父の年賀状の絵を毎年暮れに1000枚も描いていた。それは絵画作品ではなく、イラストだったんだな、と今になって解る。