好きではなくても惰性でもない

ズッキーニ

ズッキーニを続けて描いているがこれが好きだというわけでは全然ない前に描いたものと比べるために描いている要するに一種の研究ですね

先日「コリンキー」というかぼちゃを見た生で皮まで食べられるという美しい黄色が魅力的なので今度描いてみようと思うそれもそれほど好きでなくても何枚か描くに違いない

 

こいつも寄生だったのか

手前の草はどうやら奥の植物とは違う奴らしい買った時はごく小さい部分のようにくっついていたがやがて成長し堂々と分離独立した

ハリガネムシという「超」有名な「寄生虫」がいる昆虫に寄生し昆虫の行動を支配する脳内に寄生するわけではないが脳を支配すると考えられている

イワナなど川の魚は水面に落ちてきた昆虫などを食べて成長する昆虫自体はとても優れた生き物だが世界中の淡水魚のかなり多くが虫を食べて生きていることを考えると昆虫には随分おっちょこちょいな奴がいるのだなあと呆れるのは早計だそれらは「誤って」水面に落ちるのではなくこれらの寄生虫によって水に飛び込まされているというのが最近の研究で明らかになってきた

ハリガネムシのような寄生虫は最終宿主を目指して現宿主がそれに食われるように行動をコントロールしているのだと聞くとにわかに恐ろしいことになってくるつまりそれらの宿主は昆虫だけとは限らずもしかして哺乳類人間にもあるかもしれないからである

 

何を見ているのか-3

ボス「聖アントニウスの誘惑」のプロセスから

たとえばボス(レオナルド・ダ・ビンチとほぼ同時代ながら中世の幕を最高の形で引いた人と言っていいだろう)。20世紀のはじめシュルレアリストたちによって「再発見」(=賞賛)されたのは彼らがそれまで戦っていたアカデミックな絵画とのズレからではなかったか

ルネサンス以後に確立されたアカデミックな世界観から逃れ出る道を探していたシュルレアリストたちにこんな方法があったのかと「再発見」されたのだボスの絵も広く言えば油彩ではあるがその単純原始的な方法はイラストの手法の原点でもある

ボスの絵がなぜ今新しいかと言えば現代の絵画視覚がアカデミックな油彩表現からより単純なイラスト的表現に向かっているからだ人類は人工知能の支配下に置かれるのではないかという近い将来への不安を前に難しい職人的技術なしに誰でも描ける手法が人類の最後の表現にとって必要不可欠だと直感させるからであろうそう考える人も現実はこれまでの視覚の中に生きているそのズレが新しさを感じさせている

しかしボスの作品そのものは当然ながら「誰でも描ける」ものでないことは言うまでもない